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社説・コラム

『今を読む』 広島経済大教授・岡本貞雄 

学生の沖縄巡礼10年 思い込み排し 語りを聞く

 72年前の4月1日、米軍は沖縄本島に上陸した。以後、日本の敗戦を経て沖縄戦が正式に終結する9月7日までに、日米の兵士の戦死者も含めて約20万人がなくなったとされているが、地域によっては一家全員が行方不明となり、正確な戦死者数はいまだに把握されていない。

 沖縄本島が焦土と化し、腐乱死体が累々とした事実は厳然としてあり続けるが、その事実からわれわれは何を学んだのであろうか。そしてその事実はどのような形で継承されていくのであろうか。

 10年前から毎年、私は学生たちと沖縄の戦跡を全て徒歩で巡礼し、慰霊碑に参拝し、沖縄戦体験者の証言を現地で聞かせてもらう活動を続けてきた。その内容をまとめて出版したブックレットは6冊になった。「もし霊というものが見えるのならば、この辺一帯足の踏み場はありません…」。そこで語られた事実はわれわれを震え上がらせた。

 沖縄に行くに当たって事前に学習し、ある程度の意識は持って歩いた道ではあるが、当時は砲弾が飛び交い、昼間は一歩も歩けない道である。夜間、住民は遺体を踏み付け、重傷者を見捨てて逃げのびた道でもあった。

 学生たちに願うことは、事実を事実として認識するということだけだ。その上でその事実をどのように解釈するかは、自身の識見の問題である。勝手な理解や解釈から出る軽はずみな言動は厳に慎む必要がある。証言活動をしている人たちの多くは、分かってもらえないことの苦しみを抱きつつ、それでも語らねばならないという義務感で続けているのである。

 どの人の証言も、最後の結論は「今後絶対に戦争はしてはならない」ということであるが、この言葉がいかなる経験に基づいて発せられたものかが、往々にして感じ取れていない。証言を聞いた学生たちの文章には「絶対に戦争はしてはならないと思いました」という「満点」の感想が書かれてはいるが、歴史上、戦争が絶えたことはいっときもないという現実にどう向きあえばよいのだろうか。

 自己の問題としてしっかり考えなくてはならない。平和を維持するには、それなりの覚悟が要るという認識を抜きにした結論はありえない。

 事実を事実として認識する方向性は、今後も維持できると思うが、事実を語る証言者がいなくなるのは時間の問題である。10年間聞かせてもらった元女子学徒隊員16人のうち3人が亡くなり、ほとんどの人が戦時下に活動した現場に赴くことが不可能になった。現在、話をしてもらえる人は4人にすぎない。

 仏教の経典にある「如是我聞(にょぜがもん)(われはこのように伝え聞いた)」が、とんでもない解釈がなされているようなことが世間には結構ある。まだ事実を知る人が存命にもかかわらず、勝手な思い込みによって沖縄戦を印象づけてしまっていることがあるのだ。

 多くの人が語っている女子学徒の「自決」についてもそうだ。教師たちが「死んではならない。必ず生き残って後世にこの事実を伝えなさい」と言い残したことからすれば、突発的な行動による死が国に殉じた覚悟の死として語られている可能性がある。これを美談とみなすのも、軍国教育の弊害とするのも共に見当違いということになる。

 また、沖縄本島南部の海岸線に追い詰められた住民や兵士の多くが断崖から身を投げたというのも多くの人の思い込みであろう。そのような証言はほとんど出ていない。

 ことしは元沖縄県立一中鉄血勤皇隊、通信隊員5人の証言を聞いた。彼ら「一中二〇会」の活動の原点は「戦死した学友の無念と戦争の実相を後世に伝えるため、生ある限り活動を続けていく」というものである。現場に立つことができる人は10人を切った。それでも、体調が優れないのに雨の中を1時間も立ったまま話してくれた人もいて、私たちも感極まった。

 証言には聞き漏らしたこと、確認すべきことが必ずある。時間との闘いだが、しっかりと耳を傾け、後世に伝えるお手伝いをさせてもらえたらと願っている。

 52年広島市生まれ。日本大卒業。大正大大学院で仏教学専攻。正眼短大講師などを経て99年から現職。佛通寺管長藤井虎山らに師事し禅を学ぶ。広島経済大岡本ゼミ編DVDブック「オキナワを歩く」シリーズを監修。

(2017年5月2日朝刊掲載)

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