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社説・コラム

社説 言論へのテロ 脅しには絶対屈しない

 記者2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件から、あすで30年を迎える。言論を暴力で封じ、社会全体の萎縮をも狙う卑劣なテロ行為だった。

 1987年、憲法記念日の夜に事件は起きた。目出し帽の男が兵庫県西宮市の阪神支局に押し入り、散弾銃の引き金を引いた。凶弾に倒れた小尻知博記者は呉市出身で、当時29歳。先輩記者も指をはじき飛ばされるなどの重傷を負った。

 当局は戦前回帰の思想を持つ人物や団体を重点的に追った。「赤報隊」を名乗る犯行声明文で、リベラル路線の朝日新聞を「反日分子」と呼び「五十年前にかえれ」と記していたからだ。

 事件当時から時計の針を半世紀戻すと、日中戦争が起こった年である。軍部の暴走が始まり、国民は抑圧され言いたいことが口にできなくなっていく。あのような悲惨な時代を、二度と繰り返すわけにはいかない。

 犯行声明の不気味さをより際立たせたのは「この日本を否定するものを許さない」の一文だろう。言論や表現の自由を認める憲法を無視した発想である。新聞やテレビの向こうにいる読者や国民に、やいばをちらつかせるに等しい。

 事件は未解決で2003年に時効を迎え、小尻記者の両親もその後他界した。<憲法記念日ペンを折られし息子の忌>。母みよ子さんが残した句だ。自由に意見を述べ、文字にする「ペン」は記者に限らず誰しもが持つ。それを折ろうとする暴力は目に見える形に限らない。

 朝日襲撃事件の犯人が用いた「反日」が今ではインターネット上にあふれる。政府に異を唱える相手にレッテルを貼る。他者の意見に耳を貸そうとせず、半ば凶暴に異論を封じようとする人が増えていないか。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)にも感じられる。

 自分は間違っていない、正しいと考える前に、相手とじっくり冷静に意見を交わす心の余裕が持てないものか。戦後民主主義とは、異なった思想や主張を持つ人を受け入れる寛容性を指すのではないか。

 非政府組織(NGO)が先週発表した2017年の「報道の自由度ランキング」で調査対象の180カ国・地域のうち日本は72位だった。52位のイタリアに抜かれ、主要7カ国では最下位だ。特定秘密保護法が問題視された形だが、政府による不当な圧力はここ数年、目に余る。

 テレビ局の免許を握る総務相が「電波停止」に言及したり、自民党議員が「マスコミを懲らしめる」と発言したり。最近も自民党幹事長が復興相の暴言に絡み「(会場からマスコミを)排除して入れないようにしないといけない」と述べた。戦前のような報道統制は許されない。

 言論封殺の憂いが世界中に広がっている。一昨年、イスラム教預言者の風刺画を載せたフランスの週刊紙「シャルリエブド」が襲撃され、多数の死傷者が出た。さらに米国のトランプ大統領は都合の悪い報道を「フェイク(うそ)」と決め付け、記者会見への出席を認めるメディア選別まで始めた。

 民主主義の根幹が細ったり、折れたりしてはならない。われわれ報道機関は、強い「支え木」となる覚悟を持つ。決して脅しには屈しない。また権力におもねることもない。

(2017年5月2日朝刊掲載)

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