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惨禍伝える「被爆定礎板」 広島流川教会に46年ぶり設置「平和の祈り深めて」

 ことしで創設130年となる広島市中区上幟町の広島流川教会に「被爆定礎板」が46年ぶりに設置された。原爆投下時は上流川町(現中区鉄砲町)にあり、ほぼ全壊する中で定礎板は残り、再建された教会でも歴史を刻んでいたが、現在地に移転後は倉庫に保管されていた。被爆の惨禍を伝え、平和を祈る新たなシンボルとなる。(森戸新士)

 被爆定礎板は縦38センチ、横62センチ。御影石製とみられ、当初は「AD1927 昭和二年」と着工年を刻んでいた。被爆のためか二つに割れ、「二年」の部分は剝離している。先月下旬に今の教会正面の壁面に掲げられ、説明板も付いた。

 教会は1887年5月、西大工町(現中区榎町)で創設した。被爆した教会は1927年着工、28年完成の鉄筋。爆心地から約900メートル東にあり、原爆でほぼ崩壊したが、定礎板を含む外壁の一部が残った。これらを基に52年に再建。定礎板も設置していたが、71年に現在地へ新築移転した際に取り外し、木箱に納めて倉庫に保管していた。

 130年の節目を迎え、牧師や、被爆者を含む教会員が再設置を提案した。向井希夫牧師(57)は「被爆の記憶を風化させないための貴重な資料。平和への祈りを深めるきっかけになれば」と願う。今月7日午前11時45分から記念の礼拝をし、被爆定礎板を披露する。

(2017年5月3日朝刊掲載)

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