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社説・コラム

社説 憲法施行70年 改正 「機は熟した」のか

 日本国憲法の施行から、きょうで70年となる。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という三大原則は戦後民主主義の土台となった。節目の日に、あらためて憲法の役割、とりわけ戦争放棄や戦力の不保持を定めた9条について考えたい。

 というのも最近、安全保障を巡る環境が大きく変化してきているからだ。おとといは安全保障関連法で自衛隊に加わった新たな任務が初めて実施された。海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦いずもが米海軍の補給艦を守る「米艦防護」である。

進む日米一体化

 北朝鮮を巡って緊張感が高まっている今なら、国民に理解してもらいやすいと考えて踏み切ったのか。しかし専門家からも憲法違反との指摘があった安保関連法に基づき、自衛隊と米軍との一体感が強まることで、逆に戦火に巻き込まれてしまう恐れを感じた人も多かろう。情報公開が不十分なことも心配だ。

 政府は昨年11月、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊に安保関連法に基づく「駆け付け警護」の新任務を付与した。現地情勢などから不安視する声もあったが、押し切った。米艦防護も含め、実績作りを急ごうとする思惑が感じられる。

なし崩しに不安

 米艦防護の必要性や隊員のリスクをどう評価したかなど、議論の過程は明らかにされていない。国会での検証もないまま、なし崩し的に運用が本格化するのは問題だ。

 憲法について、安倍晋三首相は改正に前のめりな姿勢を崩さない。おととい改憲推進を訴える超党派議連の会合で「この節目の年に必ずや歴史的一歩を踏み出す。いよいよ機は熟した」と述べた。数頼みの強引な手法で事を進めないか懸念される。

 自民党など改憲勢力は昨年7月の参院選で、衆院に続いて3分の2以上の議席を得た。憲法改正に必要な発議ができる態勢は既に整っている。昨年秋には、衆院で1年5カ月ぶり、参院では9カ月ぶりに憲法審査会が再開された。緊急事態条項や全ての教育の無償化、衆院解散権の制限、環境権、国と地方の在り方など論点がそろいつつある。

 ただ、どれも本当に憲法を変えないと実現できないか。法律の制定や改正で十分でないか。そこから議論すべきだろう。

 仮に改正について議論するとしても、何が足りないのか。どんな点を改めなければいけないのか。はっきり示した上で、多くの国民の理解や賛同を得ることが欠かせない。

 自民党は野党時代の2012年、改憲草案を発表している。「そのまま憲法審に提案するつもりはない」と安倍首相は説明しているが、当然だろう。基本的人権の尊重に制限を設けるなど現憲法に比べ後退が目立つような内容では、国民の理解は到底得られまい。棚上げではなく、撤回が筋ではないか。

揺らぐ立憲主義

 そもそも、自民党内で改憲を必要としてきたのは「集団的自衛権」を行使するためだった。政府がずっと、憲法が禁じているとの判断を示していたからだ。今回の米艦防護のようなケースも、政府は従来、憲法解釈で可能な個別的自衛権の行使などで反撃できるとしてきた。それを安倍政権が14年、連立与党の公明党などの抵抗を押し切って政府見解を変更し、憲法を変えないまま集団的自衛権の行使に道を開いた。

 さらに一昨年、数の力で安保関連法を成立させた。憲法によって権力を縛る「立憲主義」が揺らいではいないか、危惧されている。憲法の問題を考える際に忘れてはならないだろう。

 共同通信の最近の世論調査では、9条改正の賛否は拮抗(きっこう)していたが、戦後、海外で武力行使しなかったのは「憲法9条があったからだ」が75%に上った。9条の重みが浸透している証しと言えるだろう。その重しを完全に取り払って米軍との一体化を進めるのか、きちんと歯止めをかけるのか。数の力で改正を急ぐのは許されまい。国や地域の在るべき姿を見据えた十分な議論こそ求められる。

(2017年5月3日朝刊掲載)

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