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被爆67年 過ちを問う 浪江再建 希望の灯

 原爆の日を迎えた6日、ヒロシマは核の平和利用の是非をめぐり、揺れた。広島市長が求め、首相が約束した安全なエネルギー政策は、市民に、被爆者に届いたのか。一方で、フクシマから連帯と支援を求められた被爆地。その在り方を問うように、平和記念公園の内外で、脱原発のうねりは広がった。

 福島第1原発事故を受け、全町民が避難を余儀なくされた福島県浪江町。惨禍を乗り越えた被爆地に町再建のヒントを求め、馬場有(たもつ)町長(63)は、広島市を訪問。さまざまな交流に「希望をもらった。収穫は大きい」。古里を奪われた町の町長は確かな手応えをつかんだ。

 この日は平和記念式典参列から始まった。原発事故後、福島県の自治体の首長が参列するのは初めて。馬場町長は「昨年3月11日と67年前の広島の惨状が重なる」と原爆犠牲者に祈りをささげた。

 原発推進派だった馬場町長だが、事故を受け、考え方は百八十度変わった。式典あいさつで「中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と述べた野田首相に、「真剣なら『中長期』でなくても達成できる。誠意がない」と憤った。

 広島県被団協の坪井直理事長とも懇談した。馬場町長は、近く配布を始める町独自の「放射線健康管理手帳」を紹介。医療費無料化などを含む法整備への協力を求めた。坪井理事長は「放射線の影響は長期にわたり油断できない。何でも相談を」と握手を交わした。

 中区の原爆資料館であった広島へ避難してきた被災者の会では、「放射線と闘っていく気持ちを新たにした」と宣言。拍手を受けた。

 7日は広島市の松井一実市長との懇談に臨む。馬場町長は「放射線被害を知る自治体同士、相談し合える関係を築きたい」と期待した。(田中美千子)

(2012年8月7日朝刊掲載)

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