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安住拒む鮮烈な軌跡 広島市現代美術館「殿敷侃」展

 「そのそれを求めて」という謎めいた言葉に、広島市現代美術館(南区)で開催中の「殿敷侃(とのしき・ただし) 逆流の生まれるところ」展の冒頭で出合う。殿敷侃(1942~92年)が残したスクラップ帳に貼られていた、彼のエッセーのタイトルだ。

 拡大コピーが張り出されている。掲載誌は不明だが、「広島駅勤務」という肩書から、20代の活動初期に書いた文と分かる。「この世界を明晰(めいせき)にみつめ、そしてそれを意識の光で照らしだしながら再創造する、そのような知性のよろこびこそ芸術なのです。そのそれは、人類のもっとも崇高な使命です」。50歳で亡くなるまで新たな創作に挑み続けた殿敷の生涯を、予言するようでもある。

 広島市中区の生まれ。被爆死した父の行方を捜す母の背中で入市被爆し、母も原爆症で亡くした。会場には、父母の遺品を息の詰まるような密度の点描で描いた絵も並ぶ。没後25周年の回顧展。創作の軌跡を余さず伝える。

 30歳で国鉄(現JR)を退職、長門市にアトリエを構え、美術教室を開いた。辺りの自然をモチーフにした作品群は、実験精神を感じさせつつも穏やかだ。赤トンボの群れのリズムを追った一点など、ふと、「そのそれ」に手が触れたのではと思わせる幸福感がある。

 しかし、殿敷は作風の安住を拒むように、廃材によるインスタレーションなどの現代的表現に突き進む。野外の大型作品の制作では多くの人々を巻き込み、彼らに強い印象を残すことで後進を育てた。肝臓がんを患い、迫る死期とも競いながら。中国地方の今の現代美術シーンは、もし殿敷がいなければよほど貧弱になっていただろう。

 展示の最後を飾る廃材アートは、例えば、海岸に流れ着いたごみでできている。見栄えのいいものではない。だが、「そのそれ」を求め続けた殿敷の鮮烈な軌跡と到達を思うとき、見栄えの良さに安住することで高値を誇るような美術作品の一切が、ごみに思える瞬間がある。

 同展は中国新聞社などの主催で21日まで。15日は休館。(道面雅量)

(2017年5月13日朝刊掲載)

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