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社説・コラム

天風録 「世界平和記念聖堂」

 くぎ1本、れんが1個に至るまで、人類の平和への祈りが込められている―。完工式を報じた60年以上前の本紙記事に、そう表現されている。広島市の世界平和記念聖堂である▲その時、謝辞を述べたのが、建設を発案した被爆者ラサール神父だった。当初は「無謀だ」と反対もあった。それでも原爆犠牲者の慰霊を訴えると、鐘や浄財が国内外から集まった。記事も大げさではなかったようだ▲支援が広がり、資金難や資材不足も乗り越えた。肝心の設計コンペには180点近い応募があったが、眼鏡にかなう作品はなかった。結局、審査員で建築界をリードしていた村野藤吾(とうご)が担当することに。行司が相撲を取った形になり批判も浴びる▲ただおかげで歴史に残るものができた。11年前、戦後建築で初めて国の重要文化財に原爆資料館の本館と一緒に指定された。平和を祈念する先駆的な戦後復興建築との評価である。ずっと受け継いでいかねばなるまい▲「10年後になったら何とか見られるようになりましょう」。完成時の村野のそんな言葉が今も語り継がれる。どんな思いだったのだろう。答えは、広島市現代美術館できょう始まる企画展で見つかるかもしれない。

(2017年5月16日朝刊掲載)

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