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民喜のおい 証言を撮影 広島花幻忌の会 ゆかりの地巡る

 広島市出身の被爆作家原民喜(1905~51年)を顕彰する「広島花幻忌の会」が今月上旬、民喜ゆかりの地を巡り、おいの原時彦さん(82)=西区=の証言と合わせて映像に記録した。2月に始めた、証言を次代に伝える取り組みが進展している。

 今回は、民喜が被爆後に避難した旧八幡村(現佐伯区)などで撮影。長津功三良事務局長たち6人が参加した。民喜と妻貞恵の眠る墓がある円光寺(中区)や、「廃墟から」「永遠のみどり」などの作中に描かれ、今も被爆当時の面影を残す姉の家(同)も巡った。

 時彦さんは三次市に疎開していて被爆を免れた。戦後半年ほど、八幡村の農家の離れで民喜と暮らした。「2階にいた叔父に毎日食事を運ぶ役目だった。持っていくと何かを書いていて、もしかしたら小説『夏の花』を書いていたのかも」などと回想した。

 カメラの前で、時彦さんは民喜作「小さな村」の中の「巨人」を紹介した。離れの2階から東に見える山の尾根を巨人に見立て、「その巨きな口も、飢えているのだろうか」とつづる。時彦さんは「見えるものが食べ物に関連している。それだけ空腹だった」と語った。

 民喜から著作権の継承を託された後の半生も振り返り、「『鎮魂歌』に『自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ』とある。その思いを伝えていかなければならない」と力を込めた。

 撮影した映像は、関連する民喜の作品の朗読を加えるなどの編集をし、11月に開く生誕祭などで上映する。(石井雄一)

(2017年5月17日朝刊掲載)

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