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被爆67年 広島各地で慰霊

 広島原爆の日の6日、惨禍に巻き込まれた人々の冥福や平和への祈りが広島市や周辺で続いた。あの日から67年。被爆者の高齢化が進む中、体験の継承や核兵器の廃絶を目指すイベントも繰り広げられた。

67年たっても無念

  ◆原爆死没者慰霊行事(平和記念公園)
 原爆供養塔の前に被爆者や遺族たち約400人が参列した。広島戦災供養会が主催。遺族の前田和枝さん(84)=南区=は、長男勝之さん(56)=同=と供養塔に花を手向けた。「義理の妹は今も消息が分からないまま。67年たっても無念さがこみ上げます」

 ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)
 原爆ドームそばの慰霊碑前で、職員や遺族ら約90人が犠牲者をしのんだ。高柳綾男さん(73)=岡山市南区=は、職員だった父登さん=当時(55)=を原爆で亡くした。「生きている限り参列し、平和を願い続ける」と話し、献花した。

  ◆広島二中原爆死没者慰霊祭(中区中島町)
 本川沿いの慰霊碑前で、旧制広島二中(現観音高)の卒業生や生徒たち約300人が午前8時15分に合わせ、黙とうした。「私たちは広島であった惨禍を決して風化させてはならない」と芸陽観音同窓会の平松恵一会長(71)=中区。観音高の生徒たちが、同校と二中の校歌を斉唱した。

  ◆県職員原爆犠牲者追悼(中区加古町)
 県職員や遺族たち約200人が、旧県庁跡の慰霊碑で黙とうをささげた。上松敏郎さん(82)=安芸区=の父は被爆当時、援護課に勤めていた。何度捜しても、遺骨は見つからなかったという。「毎年、父に元気だと報告に来ています」。上松さんはそう言って、白菊を手向けた。

  ◆広島赤十字・原爆病院原爆殉職職員ならびに戦没職員慰霊式(中区千田町)
 病院の正面入り口で職員や患者ら約150人が午前8時15分に合わせて黙とうし、献花した。元看護師の井口トシエさん(85)=中区=は外科病棟で被爆後、けが人の救護に追われた。「日が暮れるまで治療をしたあの日のことが忘れられない」と涙ぐんだ。

  ◆広島郵便局原爆殉職者慰霊祭(南区比治山町)
 慰霊碑のある多聞院に、遺族や職員約100人が参列し、犠牲者288人をしのんだ。福原シナヨさん(92)=南区=は、局員だった夫、時次郎さんの遺骨が見つかっていない。「いつ死ぬか分からんと夫が残していた髪と爪が形見。命が続く限り参列したい。もう戦争はしちゃいけん」

  ◆嵐の中の母子像供養(中区中島町)
 広島市地域女性団体連絡協議会の約200人が花をささげて黙とうし「原爆を許すまじ」を歌った。母の愛の強さを伝える像を前に、吉岡恭子会長(69)=安佐北区=は「子どもたちを守るため、若い世代に恒久平和の思いを受け継がなければならない」と力を込めた。

  ◆県動員学徒等犠牲者の会原爆追悼式(平和記念公園)
 遺族や瀬戸内高の生徒たち約300人が集まった。金光悦子さん(81)=府中町=は進徳高等女学校2年の時、建物疎開作業の準備中に校庭で被爆した。「差別や偏見で苦しんだ。被爆のつらさを子どもたちに伝えるのが今の私の役目」。孫の安田女子大3年安達美香さん(20)=府中町=と一緒に手を合わせた。

  ◆県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式(中区小町)
 平和大通りの緑地帯の慰霊碑前で、県立広島第一高等女学校(現皆実高)の卒業生や遺族の約250人が冥福を祈った。妹孝子さん=当時(13)=を亡くした鳥居原良江さん(86)=中区=は「妹には幼いころ、よく家で国語を教えてあげた。勉強熱心で真面目だった」と振り返った。

 ◆広島大原爆死没者追悼式(中区東千田町)
 卒業生や遺族たち約100人が参列し、慰霊碑に花と水をささげた。広島工業専門学校(現広島大工学部)の授業中に被爆した片島三朗さん(85)=中区=は「原爆の日が、日本のエネルギー政策について考える機会になってほしい」と願った。

 ◆旧制広島市立中学校原爆死没職員生徒慰霊祭(中区小網町)
 卒業生と基町高の生徒たち約400人が参列し、慰霊碑に折り鶴や花をささげた。基町高同窓会の吉田雅一代表(62)は「亡くなった先輩の無念を思い、世界平和のために一人一人ができることを考えよう」と呼び掛けた。

  ◆県被団協(坪井直理事長)原爆死没者追悼慰霊式典(中区基町)
 会員や被爆者たち約180人が冥福を祈った。広島陸軍病院の看護師だった是竹頼子さん(85)=世羅町=は病院近くの寄宿舎で被爆した。式典で読み上げられた「脱原発こそが至上の叫び」とのメッセージにうなずき、願った。「原発も同じ核。被爆者としては恐ろしい。できればなくしてほしい」

  ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)
 原爆に命を奪われた新聞社や通信社の社員を悼む碑に、今年の調査で判明し追加された5人を含め130人の名が刻まれている。参列した阿部迪子(みちこ)さん(76)=西区=の父で、中国新聞社員だった西村静一さん=当時(38)=の名前もある。阿部さんは「遺骨が見つからないことが、今も心残り」と話した。

命落とした仲間のために

  ◆広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式(中区中島町)
 広島市立第一高等女学校(現舟入高)の卒業生や遺族約500人が黙とうした。専攻科生だった加藤八千代さん(83)=西区=は「私たちもこの場所で建物疎開の作業をしていた可能性はあった。一生懸命働きながら命を落とした仲間のためにも、参列し続けたい」と話した。

 ◆国鉄原爆死没者慰霊式(中区東白島町)
 慰霊碑前に遺族とJR西日本の社員たち約100人が集まった。吉田章さん(63)=呉市=の兄は18歳で被爆死した。車掌見習いだった兄を、戦後生まれの吉田さんは直接は知らない。母は11年前に亡くなるまで、原爆に奪われた息子のことをずっと悼んでいた。吉田さんは「母の思いを、私の息子や孫にも伝えていきたい」と話した。

(2012年8月7日朝刊掲載)

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