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広島の三瀧寺 ホロコースト犠牲者慰霊 心のありよう 若者に問う

44年前に「平和宝塔」建立

 広島市西区三滝本町の高野山真言宗三瀧寺が、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)犠牲者の遺骨を境内の「平和宝塔」に安置し、慰霊法要を毎年営んでいる。戦争による惨劇が繰り返されないよう願って44年前に建てられた宝塔は、平和学習などで寺を訪ねてくる国内外の若者たちに人間の心のありようを問い掛ける。(桜井邦彦)

 遺骨は、広島の平和団体「ヒロシマ・アウシュビッツ委員会」と現地との交流を通じ、戦時中にアウシュビッツ強制収容所が置かれていたポーランド・オシフィエンチム市にある博物館から届けられたという。同寺は、それから数年たった1973年5月12日に平和宝塔が建立されて以降、法要を欠かさず続けてきた。

 ことしも建立記念日に合わせ、塔の前に祭壇を仮設して法要を営んだ。近くには、平和学習で訪れた人が手向けたとみられる千羽鶴があった。

「悲劇の象徴」

 当日の一般参列者はなく、佐藤元宣住職(60)と、同寺で働く役僧3人が理趣経と般若心経を勤め、1人ずつ焼香して手を合わせた。法要を終えた佐藤住職は「戦争は数々の悲劇をもたらすが、原爆の使用とユダヤ人大虐殺はその象徴」とし、「一人一人が人間の愚かさを見詰め、大きな過ちを二度と繰り返さないよう願った」と語った。

 三瀧寺の宝塔は、佐藤住職の父で前住職の天俊さんがヒロシマ・アウシュビッツ委員会に関わっていた縁で境内に建立された。当初は、神道やキリスト教からも法要に参列し、それぞれのスタイルで平和を祈っていたという。81年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が広島を訪問した際は、同行の枢機卿が法王に代わって同寺を訪ね、塔の前でミサを営んだという。

 当時の関係者の多くは亡くなるなどし、こうした歴史を知る人は少なくなったが、塔の横の石碑には天俊さんたち当時の宗教者の思いが刻まれている。「私たち一人一人の心の奥にひそんでいる貪欲、怒り、無智を深く反省し、人間の真の心を培いひらきましょう」

留学生を案内

 そうした思いは、平和学習で同寺を訪ねる若者たちの心を打つ。広島女学院高(中区)の生徒18人は、課外活動の中で三瀧寺の遺骨の存在を知って4月初め、広島大大学院の留学生7人を案内した。佐藤住職から事前に聞き取った塔のいきさつや、平和への思いを英語で伝えた。

 同校3年の川瀬愛さん(17)は「広島とアウシュビッツの交流があったことや、戦争の悲惨さを伝える大切な場」と受け止める。倉本杏樹さん(17)は「広島の平和学習で教わるのは原爆のことが中心だが、無差別に人が殺されたのはホロコーストも同じ。原爆とともにその悲惨さを伝えていきたい」と誓う。

 佐藤住職は「碑文にあるように、むさぼり、怒り、愚かさが争いを呼び戦争を招く。平和を築くには、個々の人間の心のありようが大切。そうした思いを伝える場としても塔を守っていきたい。お参りした人が自分の心を問い尋ねる縁としてほしい」と願う。

(2017年6月5日朝刊掲載)

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