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被爆死のスター園井恵子さん 語り継ぐ会発足5年 足跡たどる劇 公演支援

古里岩手 広島と絆求め

 移動演劇「桜隊」の一員として広島で原爆に遭った悲運のスターを記憶に残そうと、「園井恵子を語り継ぐ会」が古里の岩手県岩手町で発足して、ことしで5年を迎える。宝塚歌劇団から映画界に転じ、将来を期待されながら32歳で命を奪われた園井さん。その生涯をもっと伝えるため、あまり進んでいなかった被爆地広島との交流を広げたいという。(岩崎誠)

 園井恵子、本名袴田トミさんは盛岡市の北、現在の岩手町で幼少期を過ごす。家出も同然で宝塚へ。実家破産などの苦労もあったが数々の舞台を踏んだ。戦時下の1942年に退団後、映画「無法松の一生」(43年)で脚光を浴びた。

 そして移動演劇隊に身を投じ、自らの誕生日だった45年8月6日には巡業先の広島にいて堀川町(当時)の宿舎で被爆。逃げ延びた神戸で15日後、放射線障害に苦しんだ末に命を落とす。

3・11で再び注目

 岩手町では郷土出身のタカラジェンヌとして光が当たり、生前の活躍を伝える資料室、宝塚のはかま姿をかたどる少女時代のブロンズ像が既にあった。2011年の東日本大震災と福島第1原発事故によって被爆の悲劇があらためて注目され、翌年11月に町民有志ら20人余りで語り継ぐ会が発足。ブロンズ像周辺の草刈りや管理、8月21日の命日の墓参などを続けてきた。

 本年度の事業計画は一歩踏み出した。宝塚100年を記念してできた「宝塚歌劇の殿堂」入りに向けた活動も一つ。さらに岩手県のNPO法人が制作して県内や東京などで昨年、初演された劇「残花」の再演への協力を柱としている。

 劇は現代の岩手の女性記者が園井さんの足跡を追ううち、過去の出来事と重なり合っていく筋立て。地元で反響を巻き起こし、演出家は東京の演劇賞も受けたが、西日本での公演はまだない。会としてこの劇を知ってもらい、被爆した広島での上演も実現できるよう後押ししたいという。

未完の大女優に光

 その広島では平和大通りの緑地帯に9人が全滅した桜隊の原爆殉難碑がある。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にも、遺族の手で遺影が登録されている。ただ「未完の大女優」といわれる園井さんの波乱の生涯に焦点が当たることは、それほど多くなかった。

 語り継ぐ会の会長で、岩手県芸術文化協会の会長も務める柴田和子さん(69)は昨年、広島で桜隊が被爆した場所を訪れた。「園井恵子は平和の使者として神様から遣わされたと思う。その意味を広めるためにも、広島と絆を強めたい」と語る。年会費2千円で町外からも入会できる。事務局☎0195(62)2307=岩手町のトモエ商会内。

(2017年6月13日朝刊掲載)

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