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全国戦没者追悼式 無念の死 心に刻む

 終戦の日の15日、東京都千代田区の日本武道館であった全国戦没者追悼式に、中国地方からは377人の遺族が参列した。愛する肉親の記憶をたどって鎮魂を祈るとともに、多くの命を奪い去った戦争の悲惨さを語り継ぐことを誓った。(山本洋子)

 島根県代表として献花した河野勝美さん(71)=益田市=は父照夫さんを沖縄戦で失った。「生死の瀬戸際でどんなに苦しい思いをしたか。あらためて平和を願う」。戦後、家族を必死に支え、晩年に「貧しくて家族で死のうと何度も思った」と明かした亡き母の思い出を胸に祈った。

 鳥取県代表の樋口咲香枝さん(76)=米子市=は、戦地に赴く父田辺毅さんに「学校に行かない」とだだをこねた記憶がある。3月に父が戦死したミャンマーを訪れ「古里を遠く離れ、死ぬ無念さ。絶対に戦争は許せない」と思いを新たにした。

 岡山県代表の中島滋さん(84)=倉敷市=はグアム島で亡くなった兄増治さんを思い「(年齢的に)最後の参列になるかもしれない。兄を思い浮かべ、供養したい」とじっと目を閉じた。

 終戦から67年。遺族は体験継承の難しさにも直面する。

 沖縄沖で兄晴雄さんを亡くした広島県代表の小林文男さん(78)=福山市=は、地元の遺族会会長として戦争の悲惨さを語ってきた。だが体験者の高齢化が進み「戦争がテレビの中の出来事になってしまう。孫やひ孫の世代に語り継ぐのが使命」と責任をかみしめる。

 山口県代表の金林明美さん(47)=下関市=は都道府県代表では最年少。祖父正穏さんはフィリピン周辺で戦死し、遺骨は戻らない。「死んだ父や、遺族会を手伝う母に代わり、鎮魂を祈りたい」

 原爆死没者遺族を代表して出席した沢田牧夫さん(68)=広島市東区。父嚴さんは原爆体験を語るのを避け続け、30年前にがんで亡くなった。「被爆すれば見えない(放射能の)恐怖がつきまとう」。だからこそ福島の原発事故は衝撃だった。「原爆被害を受けた人々がいて今の私たちがある。どれだけ年月がたっても、戦争を、核を、許してはならない」と語った。

(2012年8月16日朝刊掲載)

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