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モダンと和と洋 結実 世界平和記念聖堂の魅力 広島で「村野藤吾の建築」展

独自性確立 創作の原形に

 日本を代表する建築家の一人、村野藤吾(1891~1984年)の業績を一望する「村野藤吾の建築」展が、広島市現代美術館(南区)で開かれている。展示のハイライトとなっているのが、代表作である世界平和記念聖堂(中区)の設計図や模型だ。その建築作品としての魅力はどこにあるのだろうか。(上杉智己)

 世界平和記念聖堂は1954年に完成した。当初から名作の呼び声が高く、村野はこの作品で55年度の日本建築学会賞を受賞。建物は2006年、丹下健三設計の原爆資料館(中区)と並んで、戦後建築では初めて国の重要文化財に指定された。

 同展では、聖堂の設計図や資料写真、京都工芸繊維大の学生らによる模型を合わせ、計約140点を公開している。関連イベントで聖堂内部を見学するツアーも開かれ、同大の笠原一人助教(建築史)が解説した。

 笠原助教によると、聖堂は基本的に鉄筋コンクリート造のモダニズム建築だが、その枠を超えて多様な様式が組み合わさる。柱や梁(はり)を露出させた真壁(しんかべ)をイメージさせる外壁、曲線の連なる州浜(すはま)形にデザインした小窓など、和風のエッセンスが入り込む。壁面は地元広島の土を使ったコンクリートブロックで覆われ、地域性も宿す。

 一方、聖堂上部の側壁を外から支えるバットレス(控え壁)が等間隔に並ぶさまは、西洋建築のゴシック様式を想起させる。内部に目を向けると、西洋伝統のアーチ構造が連なったり、ステンドグラスから光が差し込んだりと、伝統的なロマネスク調の美をたたえている。また聖堂脇にそびえる高さ45メートルの鐘塔は、記念建築にふさわしい気高さで目を引く。

 笠原助教は「モダンと和と洋、その全てが破綻することなく、見事に結実した建築。当時誰も見たことのない、新しい教会堂の形を生み出した」と評価する。神聖な場だからといって人を圧倒するような近寄り難さはなく、むしろモダニズムに不足しがちな人間味と親しみやすさがあると指摘する。

 聖堂は、多くの教会堂を設計した村野にとって三つ目の教会堂に当たる。一つ目の南大阪教会(28年)、二つ目の日本聖公会大阪聖ヤコブ教会(39年)はともに小さな規模で、聖堂は「村野の独自性が一つの完成形を見た最初の教会堂だった」と笠原助教。「以降の作品に同様のデザインを取り入れるなど、村野建築の原形になった」と意義付ける。

 設計を仕上げるまでは苦難の連続だったようだ。もともと、聖堂の設計案は48年の公開設計競技(コンペ)で募集された。177点の応募があったが、1等の案は選ばれなかった。その後に曲折を経て、コンペの審査員だった村野が設計を担うことになった。

 設計に当たっては「日本的性格」「モダン・スタイル」「宗教的印象」「記念建築としての荘厳性」の全てを満たすことが条件だった。村野は設計案を示すが、すぐには教会側の賛同を得られず、試行錯誤を重ねることになった。特に外観のデザインについては異なる案を幾つも描き上げた。今回出展された図面から、歴史的な建築遺産誕生までの格闘の跡がうかがえる。

 同展は中国新聞社など主催で7月9日まで。3日は休館。

(2017年6月27日朝刊掲載)

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