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社説・コラム

『私の学び』 パンフルート制作者 香原良彦さん

幅広げてくれた人の縁

 太さや長さの異なる筒をアーチ状につなげた笛「パンフルート」を制作している。音色は、素材となる竹や木が育ってきた環境で決まっている。素材が本来持っている音を引き出し、楽器として形にするのが私の仕事だ。

 27日に、被爆樹木のカイヅカイブキを加工したパンフルートを、広島市中区の千田小へ寄贈する。被爆樹木は、強いメッセージ性を持っている。子どもたちに平和の大切さを伝える楽器として、永く残っていけばうれしい。

 安芸区の自宅に工房を構えている。初めて手にしたのは会社員だった36歳の時。たまたまつけたラジオから聞こえてきた音色に心を奪われた。それまで聞いたこともなかったが、とても懐かしく感じた。吹いてみたいという衝動に駆られ、すぐにアシ製の商品を買い求めた。

 練習を重ねるうち、「もっと良い音が出るものを自分で作れないか」という好奇心が芽生えた。自宅近くに自生する竹を素材に、37歳の時に独学で制作を始めた。第1号を作るのに5年かかった。

 ラジオで演奏していたパンフルート奏者の岩田英憲さん(廿日市市)とは、47歳の時、仕事先で会う機会を得た。岩田さん所有のヨーロッパ製のパンフルートの筒の長さや深さを測定し、試作品を作った。吹いてもらっては、音を調整する作業を10回以上繰り返した。プロの演奏にも耐え得るものが作りたかった。

 岩田さんの提案で、2001年には木を素材に挑戦を始めた。竹と違い、角材から円柱状に加工し、内部に穴を開けなければならない。機材を購入して試行錯誤を重ねた。完成したのは08年だった。

 千田小のカイヅカイブキと自分をつなぎ、人生を大きく変えてくれたのは、南区の橋本清次さん(ことし2月に死去)だった。岩田さんとともにパレスチナ支援に関わっており、イスラエル軍に伐採されたオリーブの木でパンフルートを作る活動に取り組んでいた。平和を願う強い志と、飾り気のない性格に引かれ制作を引き受けた。

 言葉は通じなくても、音楽を介して人と人はつながることができる。多くの人と出会い、平和の願いがこもった木とも巡り合えた。これからも人の輪に入り、パンフルートの魅力を伝えたい。(聞き手は山川文音)

こうはら・よしひこ
 1947年、広島市安芸区生まれ。瀬野小、瀬野中、山陽高を経て、66年に自動車部品メーカーに入社。転職を経て2007年に退職した後、安芸区の自宅に「風の音パンフルート製作工房」を開いた。

(2017年6月26日朝刊掲載)

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