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連載・特集

変わる岩国基地 「艦載機」容認 <2> 呼び水 滑走路移設 戦略と合致

 沿岸の工場群と市街地に囲まれた岩国市の中心部に位置し、錦川河口に広がる米海兵隊岩国基地。約790ヘクタールの敷地の海沿いに延びる滑走路では連日、米軍機がごう音を響かせながら離着陸を繰り返す。2010年5月に運用を始めた滑走路の沖合移設事業は「市民の悲願」と呼ばれた。

官民を挙げ要望

 発端は今から半世紀前にさかのぼる。1968年6月、米軍板付基地(現福岡空港)のファントム機が九州大構内(福岡市)に墜落した。当時はベトナム戦争のさなか。岩国基地は事実上の出撃基地として、戦争に深く関わっていた。

 墜落したファントム機と同型機が岩国基地にも配備されていた。「周辺に住宅密集地やコンビナートがあって危険だ」。事故の危険回避と騒音軽減を求める世論が一気に高まり、まず労働団体などの基地撤去運動が盛り上がった。市や経済界も危機感を強め、移設運動へ収束していった。

 70年代に入ると、市議会と山口県議会は沖合移設に向けた決議案を相次ぎ可決し、民間組織の「岩国基地沖合移設既成同盟会」が産声を上げた。市や周辺町も「岩国基地沖合移設促進連絡協議会」を発足し、後に県も参加。移設に伴い軍民で共用する「民間空港併設論」も強まっていった。

 官民を挙げた粘り強い要望活動はついに、国を動かす。92年8月、沖合移設の事業推進が決定。「危険や騒音にさらす基地はない方がいいが、安保が国策である以上、沖合移設は最善の選択」。96年11月に埋め立て認可が下りた際、当時の市長、貴舩悦光氏(故人)はそう語っている。

 基地の東側の沖合213ヘクタールを埋め立て、滑走路を海側に約1キロ移す一大プロジェクト。97年6月の着工から13年を経て、長さ2440メートル、幅60メートルの新滑走路が運用を開始した。国はこの事業に約2560億円もの巨費を投じた。

広がり機能一新

 「移設は皆さんの尽力のおかげ」。11年5月、岩国商工会議所であった期成同盟会の理事会総会。白井正司会長(故人)は、同盟会を構成した地元経済界や自治会の代表を前に感謝を述べた。理事会では同盟会の解散を承認し、約40年の活動に幕を下ろした。長年の取り組みは、12年12月の岩国錦帯橋空港の開港にもつながった。

 「平穏な暮らしを守りたい」という、市民の願いと努力が結実した滑走路沖合移設事業。しかし日米両政府は、移設に伴い面積が広がり機能もリニューアルする岩国基地の戦略的利用を水面下で描いていた。地元にとっては皮肉にも、新たな事故のリスクと騒音をもたらす米空母艦載機移転の「呼び水」となった。(松本恭治)

【滑走路の沖合移設事業を巡る主な動き】

1968年
   6月 米軍ファントム機が九州大構内に墜落▽岩国市議会が「基地移設に関      する決議」を議決
  71年
  10月 市議会が「基地沖合移設」を決議
  72年
  11月 民間組織「岩国基地沖合移設期成同盟会」が発足
  74年
   3月 山口県議会が「沖合移設に関する要望決議」を議決
  77年
  11月 市と周辺町で「岩国基地沖合移設促進連絡協議会」を発足
  92年
   8月 政府・与党が移設案の事業推進を決定
  96年
  11月 国が沖合移設の埋め立てを認可し、県も承認。2005年度完成予定      で計画
  97年
   6月 沖合移設工事が着工
2000年
   8月 工期を2年延長
  02年 01年の芸予地震による液状化対策で工期を1年延長
  06年
   5月 日米両政府が、米空母艦載機の岩国移転を含む在日米軍再編に最終合      意
  08年
   8月 工期を2年延長し、10年度末の完了見込みに
  10年
   3月 新滑走路が完成
    5月 新滑走路の運用開始
  11年
   3月 沖合移設事業が完了
  12年
  12月 国内2カ所目となる軍民共用の岩国錦帯橋空港が開港

(2017年6月28日朝刊掲載)

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