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社説・コラム

社説 PKO法25年 平和国家らしい貢献は

 国連平和維持活動(PKO)協力法の成立から今月で25年たった。停戦後の紛争地の安定化に貢献することを目的に、自衛隊の海外派遣に道を開いた。戦後日本の安全保障政策の転換点になった法律といえる。

 日本は1992年のカンボジアから、これまでに計27件のPKOや人道支援に延べ1万2千人の自衛隊員を派遣してきた。海外での武力行使を禁じる憲法9条の下、非軍事的な活動に専念。施設部隊を中心に道路の補修や給水、医療支援活動などに当たってきた。

 25年前の制定の際には、自衛隊の海外派遣の賛否を巡って国論を二分する大論争となった。当時と比べ、国際貢献の在り方の一つとして容認する国民が増えたのは確かだろう。

 一方、日本人の犠牲者が出たことも忘れてはならない。

 カンボジアPKOでは、文民警察官の高田晴行さん(岡山県警警部補)ら2人が銃撃され、亡くなった。98年には国連タジキスタン監視団の男性政務官が殺害され、昨年は中央アフリカのPKO統括組織で働いていた女性職員がマラリアに感染し、死亡した。

 紛争地の任務には、さまざまな危険や苦難が伴うことを認識したい。

 PKO自体も四半世紀の間に変質してきた。そこに目を向けなければなるまい。冷戦が終結して、紛争の形態がより複雑化している。主な役割が停戦監視などから、危険な状態に置かれた住民の保護などにシフトし、武力を用いた任務も増えた。

 日本はしかし、独自の「PKO参加5原則」を持つ。必要最小限の武力行使に加え、当事国の同意や紛争当事者間の停戦合意などで歯止めをかけている。

 5年4カ月に及んだ南スーダンPKOでは、最初の2年間は現地の治安情勢が比較的安定し、派遣された自衛隊員の任務は独立後の「国造り支援」が中心だった。ところが、2013年以降は内戦が激化し、PKOの目的が「住民の保護」に変わった。5原則を満たしているかが問われる過酷な任務になった。

 昨年7月、首都ジュバで「戦闘」が起き、派遣部隊も日報の形で報告を上げていた。明らかに5原則に反する恐れがあったが、政府は「法的な意味における戦闘行為ではない」と言い張った。派遣を続けるための苦しい抗弁としか映らなかった。

 昨年11月、政府は派遣部隊に、国連職員などを守る「駆け付け警護」を新たな任務として与えた。ところが、わずか4カ月で撤収を決めたのは、ちぐはぐだ。現地の危険性を認識していたにもかかわらず、新任務を付与した実績をアピールしたかったのではないか。

 5月末に南スーダンから自衛隊部隊の撤収が完了し、部隊派遣によるPKOはゼロになった。ただ、変質するPKOとどう関わっていくかという本質的な課題は残されたままだ。

 憲法9条や5原則を踏まえれば、自衛隊の役割にはおのずと限界がある。PKOは軍事面だけではない。民生支援や行政機構の再生など幅広い人材が求められている。日本らしい国際貢献の在り方を探るべきだ。

 憲法の国際協調主義に立ち戻って、PKOを含めて日本に何ができるのか、見詰め直す時期にきている。

(2017年6月28日朝刊掲載)

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