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米軍落下傘 記憶伝える 安佐北区の河田さん 修学旅行生に講話

 元中学校教諭の河田至さん(68)=広島市安佐北区=が、原爆投下の朝に米軍機から落とされた落下傘を使って、広島市を訪れる修学旅行生に講話をしている。退職後に始めたライフワークで、これまでに全国の約30小中学校の子どもたちに語ってきた。「戦争の遺物を見てもらい、若い世代に記憶を伝えたい」と願う。(栾暁雨)

 ナイロン製の落下傘の一部で、縦4・0メートル、横2・3メートル。米軍が1945年8月6日、原爆の爆発による風圧や温度を観測するため、計測器とともに投下した。安佐北区亀山地区周辺の水田や山の計3カ所に落ちた。

 計測器は日本軍が回収したが、直径約11メートルの落下傘は地元の警備部隊の隊員たちが分割して引き取った。河田さんの自宅に残るのは、隊員だった義父の巌さん(2004年に87歳で死去)が持ち帰ったものだ。地域で戦争体験の語り部をしていた巌さんの死後、河田さんが引き継いだ。

 6月中旬には中区のホテルで、岐阜県養老町の中学3年生151人に、巌さんから聞き取った話をした。落下傘を見た住民が時限爆弾と勘違いし、大騒ぎになったなどと紹介。「米軍が観測データを集めようとした事実からも、原爆が実験だった側面は否めない」と説いた。

 計測器と落下傘の一部を展示する原爆資料館(中区)の土肥幸美学芸員(29)は「変色もなく、良い状態で残っている。実物に触れることで、子どもたちが当時を感じられる貴重な機会になる」と期待する。

 河田さんは7月14日、地元の飯室小の平和学習にも出向き、落下傘を児童に見せる予定だ。「戦争を知る人が減る中、義父の体験を後世につなぐ役割を果たしたい」と決意する。

(2017年7月1日朝刊掲載)

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