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被爆の惨禍 決意の証言 カープ山本元監督の兄宏さん 東京で犠牲者追悼式

 広島東洋カープの山本浩二元監督の兄で、東京都江戸川区在住の被爆者山本宏さん(79)が17日、区内であった原爆犠牲者の追悼式で、初めて被爆体験を証言した。人前で話してこなかっただけでなく、戦後生まれの末弟、浩二さんにも語ってこなかった壮絶な記憶。風化させまいと、言葉を詰まらせながら語った。(田中美千子)

 「今話しておかないと記憶が全て消えてしまうと思い、発表することにしました」。宏さんは約200人の来場者を前に声を絞り出した。涙がこみ上げ、用意した原稿を代読してもらう場面もあった。

 被爆当時は小学2年生。登校中で己斐地区(現広島市西区)の自宅そばにいた。後頭部や腕を焼かれ、右耳は皮膚が焼け落ち、骨が見えた。大破した自宅では母親や祖父母が倒れた家具や割れたガラスで血まみれになった。弟や妹も被爆し、勤務地の大阪から駆け付けた父親も入市被爆した。

 「原爆」はその後、家族の禁句になった。被爆翌年の秋に生まれた4人きょうだいの末っ子である浩二さんにも話してこなかった。

 心が動いたのは被爆70年だった一昨年の夏。広島を訪れた際に己斐の町を歩いたが、被爆地点が分からなかった。「記憶は薄れる。伝えてみようか、と」。湧き上がる恐怖心や米国への怒りに耐え、原稿を書いた。「わが子4人に伝える機会にもなった」という。

 追悼式では、被爆者でがん闘病の末に今年1月他界した妻和子さんの体験も紹介した。宏さんは「こんな目に遭った人間がいる。その事実を知ってもらえたら」と願っていた。

(2017年7月19日朝刊掲載)

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