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旧海軍 地下の司令室 海自呉、29日初公開 呉高専が調査

 海上自衛隊呉地方総監部(呉市)は戦後初めて、旧日本海軍の呉鎮守府が臨時の作戦司令室として使っていた地下壕(ごう)を一般公開する。29日にある「呉サマーフェスタ」に先立ち、報道関係者に17日公開した。呉高専(呉市)が地下壕の大きさや構造などの調査を進めている。

 同総監部などによると、地下壕は、海自隊呉地方総監部第一庁舎(旧呉鎮守府庁舎)近くの崖の斜面を切り開いて建設された。空襲下でも司令部の機能を維持し、「地下作戦室」とも呼ばれていた。

 鉄筋建てでコンクリートの分厚い壁に囲まれた内部は幅14メートル、奥行き15メートル。アーチ形の天井は最高6メートルに達する。断面は3車線を備える現代のトンネルに匹敵するという。これに2層の部分には、通信室、映写室などを備えていた。

 さらに地下壕からは、人が立って通れる地下通路が、アリの巣のように延びている。一部は北東約500メートルの入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)まで延びているともいわれるが、崩落箇所があり、現時点では全容は分からない。

 海軍が1942年に設計して、翌43年に着工。45年4月ごろに完成した。敵機襲来時は、司令長官や作戦参謀が壁に地図を張り出し、指揮を執ったとされる。

 さらに呉鎮守府は広島市の原爆投下直後に調査団を派遣している。この地下壕から指揮した可能性もあり、今後さらに調べる。地下壕は終戦後、海自隊が倉庫として使っていた。

 呉高専の教員と学生の計18人が今月2日、地下壕と地下通路を調査。詳細な地図を作っている。QRコードを付け、スマートフォンで内部の様子を見られるように工夫する。呉高専の重松尚久准教授(土木施工)は「劣化が少なく、世界でトップレベルだった当時の日本の技術を裏付けるものだ」と説明している。

 29日のサマーフェスタでは正午~午後7時15分、地下壕の一部を初めて一般公開する。呉高専生が作る地図も配る。海自隊はその後もイベントに合わせて随時、公開する方針でいる。

 池太郎呉地方総監は「科学的に実態を分析するため調査を依頼した。公開すれば、呉の歴史を肌で感じてもらえる場所になる。最後まで呉を守り抜こうとした海軍の姿勢も感じてほしい」と話している。(浜村満大)

(2017年7月19日朝刊掲載)

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