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研究者が注目 小倉氏書簡 ヒロシマ題材 「灰墟の光」の資料 写し発見 書籍化目指す

 原爆資料館長を務めた小倉馨氏(1979年に58歳で死去)が57~59年に英語でまとめた被爆関連の書簡やその写しが見つかった。被爆者の生々しい訴えや医師へのインタビューなどを記した約800ページ。ドイツ出身の国際ジャーナリストのロベルト・ユンク氏(13~94年)に送り、世界的ベストセラー「灰墟(はいきょ)の光」の材料となった。「原爆被害を考える上で原点の記録」として、収集した研究者たちが本年度中の出版を目指している。(森戸新士)

 「原爆、お前たちは悪魔(デーモン)だ」と詩に書いて自殺した高校生、体調の悪化に苦しみながら生活のため仕事を続ける人…。小倉氏の書簡では、被爆から10年余りを経ても被爆者が貧困や病気、差別に苦しむ姿が克明に記されている。原爆資料館初代館長の故長岡省吾氏、広島の開業医で被爆者のがん多発をいち早く発見した故於保源作医師など多彩な分野の関係者のインタビューもある。

 米国生まれで英語が堪能だった小倉氏。57年にユンク氏が広島を訪れた際に通訳と案内を担当。気に入られ、原爆関係の新聞記事を英訳したり、関係者にインタビューしたりして居住先のオーストリアへ送る契約を結んだ。書簡はタイプライターで記され、213通(計836ページ)に上った。

 ユンク氏はこれを生かして「灰墟の光」を書き上げ、59年に発表。10カ国語以上に翻訳され、原爆被害の悲惨さを世界に伝えた。

 こうした経緯に注目した名古屋大の若尾祐司名誉教授(ドイツ近現代史)が2008年から「小倉書簡」を研究テーマに資料を集め始めた。10~12年にオーストリアのユンク図書館にあった書簡や、広島市中区にある小倉氏の自宅に残っていた写しなど約350ページ分を発見。さらに昨年2月、妻桂子さん(79)が遺品から残る約500ページ分の写しを見つけ大半がそろった。

 若尾名誉教授は研究者有志たちと、昨年10月から日本語への翻訳や文書の分析作業を進める。仮題は「戦後ヒロシマの記録と記憶―小倉馨のR.ユンク書簡集1957~1959年」で、約500ページの学術書として本年度に名古屋大出版会から刊行される見通し。「被爆当時と後遺障害の究明」、「平和を求めて生きる人々」など全5編で、市立大広島平和研究所の竹本真希子准教授(ドイツ近現代史)たちの解説が付く。

 ユンク氏は「灰墟の光」の謝辞で、小倉氏の書簡を「貴重な資料として永久に保存してくれることを願わずにはいられない」と記していた。若尾名誉教授は「被爆の原点にさかのぼって考えられる文書。核兵器や原発を巡る問題を抱える現代の日本人に読んでほしい」と望む。

小倉馨氏
 1920年、米国シアトル生まれ。現地の小学校卒業後の32年、広島へ移住。徴兵され海外にいたため、被爆を免れた。戦後、広島に戻り、翻訳などを続けた後、60年に広島市職員となり、原爆資料館長や広島平和文化センター事務局長を歴任。広島を訪れた海外の要人たちに、堪能な英語で原爆被害の悲惨さを伝えた。

(2017年7月22日朝刊掲載)

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