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社説・コラム

緑地帯 ダルウィーシュが見つめた広島 小泉純一 <3>

 作家の野間宏は「青年の環」でアジア・アフリカ作家会議のロータス賞を受賞(1973年)、翌74年1月にカイロでの書記局会議に招かれた際、アラブと日本との連帯会議を開きたいと提案し、承認された。

 即座に日本アラブ文化連帯会議が立ち上がり、事務局長は栗原幸夫が務めた。エジプトからは当時の文化相セーバイ、パレスチナからはダルウィーシュ、レバノンからは近年ノーベル文学賞候補に挙がるアドニスらが6月25日に来日。27、28日に東京、29、30日に大阪で集会やシンポジウムを開き、7月4日は博多での集会というスケジュールだった。7月1、2日は関西で観光。ダルウィーシュが奈良で鹿に餌をやる写真も残されている。

 海外からの一行のうちダルウィーシュを含む3人と、栗原らが広島を訪れたのが7月3日である。ダルウィーシュには69年に発表した詩「あの壁の上のキャンバス」がある。「あの壁の上では/広島が泣いている」というフレーズが繰り返され、来日前から広島訪問が念願だったことは間違いない。

 一行は原爆ドームや原爆資料館を見学し、中国新聞社を訪れている。翌日付の記事によると、ダルウィーシュは広島の問題は世界中の人の心に深く突き刺さったままであり、残虐の代価を払ったのは広島の人だが、その代価は全人類が負っているという趣旨の言葉を激しい口調で語ったという。

 82年、彼はレバノンでイスラエルによる絨毯(じゅうたん)爆撃を経験し、それを広島の原爆体験に重ね合わせることになる。(日本福祉大教授=愛知県)

(2017年7月21日朝刊掲載)

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