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社説・コラム

緑地帯 ダルウィーシュが見つめた広島 小泉純一 <6>

 1974年に日本アラブ文化連帯会議の事務局長としてダルウィーシュら中東の作家を日本に招いた栗原幸夫は、パレスチナ解放機構(PLO)がベイルートを離れるまでに数回、そこに彼を訪ねたという。だが、こうした個人的な関係を除いて来日時の関心の高まりは継続しなかった。

 彼がPLOの幹部となった政治的な文脈から、取り上げにくくなったことがその一因に思える。その代わりに、米コロンビア大の教壇に立つエドワード・サイード(1935~2003年)が、パレスチナを代表する知識人として日本でも注目されるようになる。

 理由の一つは、サイードの名著「オリエンタリズム」(78年)にある。中東に対する西欧の視点の傲慢(ごうまん)さを指摘したこの著作は、ポストコロニアリズムの代表作となり、学問領域でパレスチナを語ることを可能にした。

 その後もサイードは矢継ぎ早に著書を刊行する。実はそこには、ダルウィーシュの名前も度々引用されている。彼の詩の一節をタイトルとする「After the Last Sky(最後の空の後)」(99年)は、パレスチナの思い出をつづり、問題の本質を指摘している。

 元の詩「The Earth is Closing on Us(世界が閉じていく)」を読めば、ダルウィーシュそしてサイードの気持ちが伝わってくる。「世界が閉じていく//最後の空の後、鳥たちはどこに向かえばいいのか」。2人だけでなく、故郷を喪失したパレスチナ人たち共通の思いであろう。(日本福祉大教授=愛知県)

(2017年7月26日朝刊掲載)

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