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社説・コラム

緑地帯 ダルウィーシュが見つめた広島 小泉純一 <8>

 パレスチナを代表する詩人のダルウィーシュや、知識人のサイード。彼らに続くパレスチナ人、米国などに暮らすパレスチナ系移民の存在は頼もしい。

 2014年に来日公演を行ったDAMは、イスラエルに住むパレスチナ人の3人組ラップバンドだ。彼らのドキュメントフィルム「自由と壁とヒップホップ」の最初の場面で、メンバーの部屋の本棚にダルウィーシュの詩集が数冊あり、それをうれしそうに説明する姿を見て、世代やジャンルを超えて彼の言葉の力が共有されていることを再認識した。

 米国の詩人ネオミ・シーハブ・ナイの父は、イスラエル建国直後に米国に向かった。そこで出会った米国人女性と結ばれ、生まれたのがネオミだった。彼女も幼い頃から詩作に秀で、中東とアメリカを結ぶ詩を書いている。

 「忍耐」と題した、ダルウィーシュを追悼する彼女の詩がある。彼を世界の支配者や預言者にも、土で汚れた無数の労働者にも重ね、「目の前にある廃墟(はいきょ)の彼方(かなた)に、いつまでも信じていられる何かを見つめている」とつづる。

 パレスチナ人が故郷を取り戻すことは容易ではないが、信じるものを失わずに、その方向に歩む姿をダルウィーシュは示し、書き残した。それはパレスチナ人だけでなく、日本に暮らす私たちにも重い意味を持つ。

 彼の考えが形成される過程に、1974年に訪れた広島での衝撃、広島が果たした役割があったことを思い起こし、今夏の広島の祈りに加えてほしく思う。(日本福祉大教授=愛知県)=おわり

(2017年7月28日朝刊掲載)

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