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被爆の能道具 後世へ 浅野家ゆかり 面や衣装 広島の神社 収蔵庫を計画

 旧広島藩主浅野家ゆかりの能面や能衣装が原爆被災をくぐり抜けて現存し、関係者が保存と公開に向けた検討を始めていることが29日、分かった。歴代藩主らを祭る饒津(にぎつ)神社(広島市東区)の境内に、収蔵庫の建設を計画。浅野家の広島入城から400年を迎える2019年に向けたメイン事業として取り組む。

 老若男女らの多彩な表情をかたどった能面30点余りをはじめ、紅白や紫の華麗な能衣装、扇や帯などの小道具も合わせて約120点。製作年代ははっきりしていないが、72年前の被爆の痕跡とみられる損傷や変色が残る。現在は東日本の専門施設で保管している。

 饒津神社によると、大正末の1924年に浅野家から同神社へ寄贈。同家の別邸「泉邸(せんてい)」(現縮景園、中区)に保管されていた。45年の原爆投下によって泉邸は壊滅。能面や能衣装は奇跡的に焼け残ったという。

 爆心地の北東約1・8キロにある同神社も社殿を焼失した。このため、能面などは戦後すぐ、厳島神社(廿日市市)に奉納。2010年に饒津神社で営まれた祭事の能上演を機に返還が決まったものの、収蔵庫の建設が課題になっていた。

 初代広島藩主、浅野長晟(ながあきら)の入城から400年に当たる19年が近づく中、建設計画が具体化。ことし2月、饒津神社一帯の住民や浅野家臣の子孫たちが記念事業委員会(66人)を結成し、設計などの準備を進めている。

 計画では、収蔵庫は鉄筋2階建て、延べ面積約110平方メートル。室内に木材を用い、温湿度管理の設備も整える。建設費3500万円は、地元企業や市民の寄付金で賄い、18年9月末まで募る。19年秋ごろの完成を目指し、能面や衣装の一般公開も検討していく。

 事業委員会は既に、饒津神社にある被爆手水鉢(ちょうずばち)の修復や参道整備を独自予算で行った。委員長を務める茶道上田宗箇(そうこ)流の上田宗冏(そうけい)家元は「能面や衣装は浅野家の歴史を伝え、被爆の惨禍もくぐった広島の貴重な文化財。次代へ守り継いでいきたい」と協力を呼び掛けている。同神社内の事務局☎082(261)4616。(林淳一郎)

(2017年7月30日朝刊掲載)

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