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原爆が奪った営み 切々 資料館敷地発掘 旧中島地区を伝えたい 元住民2人が証言

 被爆前に今の広島市中区の平和記念公園一帯にあった旧中島地区の住民だった2人が30日、公園内での催しで当時の町の営みを証言した。一角にある原爆資料館本館敷地から、3月までの市の発掘調査で建物の遺構や生活用品が出土。家族や住民との思い出が詰まった町の痕跡に触れながら、一瞬にしてそれらを消し去った原爆の悲惨さを伝えた。(水川恭輔)

 「家の近くにあった誓願寺が遊び場で、池にはトンボや亀がいた。家の隣には銭湯もあり、楽しい思い出ばかり」。本館敷地の辺り、旧材木町に牛乳配給を営む実家があった山迫裕三(ひろみつ)さん(82)=西区=は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の一室で、証言会に参加した約90人を前に、懐かしそうに振り返った。

 発掘調査では実家付近で溶けた牛乳瓶や、銭湯の跡が見つかった。昨年10月に現場が一般公開された際に山迫さんも見学した。あの日、中島国民学校(現中島小)4年だった山迫さんは県北の集団疎開先にいた。家族も自宅におらず助かった。だが、発掘現場に立ち、近所の人たちの被害に思いをはせると「涙が出てきた」という。「楽しいことができるのは平和があってこそ」と訴えた。

 山迫さん方より北の旧中島本町の理髪店で育った浜井徳三さん(83)=廿日市市=も登壇した。発掘現場付近にあった無得幼稚園に通ったこと、原爆で両親と姉、兄を亡くしたことなどを語り、在りし日の町の記憶と被害を「風化させてはならない」と呼び掛けた。

 参加者は証言会後、旧材木町の碑や浜井さんの理髪店があった辺りなどを巡った。被爆直後の爆心地付近を再現するバーチャルリアリティー(VR)映像の制作に取り組む福山工業高(福山市)の生徒3人は、浜井さんから当時の建物の材質などを聞き取った。3年平田翼さん(18)は「原爆に奪われた生活の重みを実感した。記憶の継承に少しでも役に立てれば」と話した。催しは市民団体ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会が企画した。

(2017年7月31日朝刊掲載)

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