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[フロントライン備後] 戦後72年 遺族高齢化 岐路に立つ慰霊

福山で碑前祭次々と終了 次世代への継承探る

 第2次世界大戦中の兵士の遺族たちの活動が岐路に立っている。戦後72年となり、高齢化が進んでいるためだ。福山市内各地に点在する慰霊碑の管理や戦争記憶の継承が課題となる一方、孫、ひ孫世代の模索も始まっている。(高本友子)

 同市丸之内の備後護国神社境内に並ぶフィリピンのレイテ・ミンダナオ島や硫黄島での戦没者慰霊碑。大戦に関連する計13基は1960~80年代ごろに、生還者や遺族により建てられた。

 遺族は高齢化し、県外に住む遺族が多いため、各碑前で開いていた慰霊祭は今、メレヨン島の遺族たちが年に1度開くだけ。清掃などの管理も難しい。

市内には100基

 陸軍歩兵第41連隊や福山海軍航空隊があった福山市からは、多くの兵士が激戦地に向かった。県によると、市内には100基の慰霊碑が存在する。

 近年は碑前で開催していた慰霊祭が次々と終了。市遺族会の佐藤暢家副会長(76)は「遺児も高齢になった。福山に軍隊があったことも知られなくなってきた」と懸念する。

 県によると、県内の慰霊碑393基はいずれも遺族会や神社・寺など民間が管理する。備後護国神社の13基は市遺族会などが代わって清掃しているが、会の平均年齢は約75歳。5月末時点で会員は1615人で、毎年100人単位で減っている。

 一方で戦後70年を期に、次世代への継承の動きも出てきた。県遺族会は2015年に「戦没者を語る会」を開始。福山市でも今月7日に初開催した。フィリピンで父が戦死した小畠和夫さん(78)=同市駅家町=は「福山空襲の体験や戦後の貧困の苦労を話した。若い世代に知ってほしい」と話す。

保存法に課題

 16年3月には備後護国神社護持会(大田祐介代表)が発足した。中心メンバーは30~40代で、市遺族会と共に護国神社で8月5日のみたま祭を開催するなどしている。

 5月には同神社境内の碑の清掃も初めて実施。フェイスブックでボランティアを募り約70人が参加した。曽祖父が41連隊の兵士だった企画者の峯松浩道さん(38)=同市水呑町=は「地元の歴史や犠牲の上に平和があることを学ぶのは重要。同世代が知る機会をつくりたい」と力を込める。

 ただ、戦没者名簿を保管する場所の鍵の持ち主が不明になるなど、慰霊碑の保存方法には課題が残る。市遺族会の篠原彌之(ひろゆき)会長(79)は「国が戦地に送り込み亡くなった兵士も多い。正しい歴史を残し、戦没者を慰霊するため行政の協力も欲しい」と話している。

(2017年7月31日朝刊掲載)

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