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中国帰国者・原爆報道に力 磯野さん死去 惜しむ声相次ぐ

 2日亡くなった磯野恭子さんは、山口放送(周南市)で、反戦、社会派のドキュメンタリー番組を数多く制作し、岩国市教育長も務めた。ゆかりの人たちからは悼む声が相次いだ。

 1987年制作の「祖国へのはるかな旅―ある中国残留婦人の帰国」は、6年後に国が永住帰国希望者全員を受け入れる方針決定の端緒となった。放映後に設立した「中国残留婦人交流の会」が保証人となり、一時帰国を受け入れた。元会長の保田正子さん(90)=岩国市=は「できるだけのことをしてあげようという思いだったのでは。政治を動かした偉大な方だった」と惜しんだ。

 79年には原爆小頭症患者と家族を追い、胎内被爆の実態を報道。患者の支援者たちでつくる「きのこ会」(広島市)の平尾直政事務局長(53)は「反戦を貫いた人だった」と振り返る。

 人間魚雷「回天」についても、84年の番組で特攻兵器の非人道性を知らしめた。回天顕彰会の原田茂会長(79)=周南市=は「戦争に対して厳しい姿勢だった。人の心をつかむのが上手で、力のある女性だった。惜しい」。

 2004年からは、合併を挟んで岩国市教育長を6年務めた。旧市町の特色を残しつつ一体的な教育施策を推進。佐倉弘之甫教育長は「数日前に顔を見たばかりだった。民間での経験を生かし、広い視野で教育の在り方を考えていた」と話す。

 女性の社会進出にも力を注ぎ、約30年前から同市で月1回の勉強会「磯野ゼミナール」を開いてきた。いわくに女性会議の佐野美智子理事(83)は「かけがえのない人。優しさと気遣いの中にも強さがあった」としのんだ。

(2017年8月3日朝刊掲載)

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