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原爆裁判 胸の内つづる 原告・下田さんの書簡現存

違法判決 人類の大きな力 犠牲者達も喜んでくれる

 東京地裁が米軍の原爆投下を国際法違反とした原爆裁判(1963年判決)で、原告の広島の被爆者、下田隆一さん(64年に65歳で死去)が核兵器の違法化に期する思いを記した書簡が残っていた。子ども5人を原爆で亡くすという非人道的被害を告発した裁判は「シモダ・ケース」の名で世界に知られ、先月の核兵器禁止条約制定の礎の一つになった。専門家は「核兵器禁止への被爆者の努力を刻む貴重な資料」と注目する。

 下田さんの書簡は、判決の前後、代理人の松井康浩弁護士(三原市出身、2008年に85歳で死去)たちに宛てた手書きの3通。松井さんの遺族が日本反核法律家協会に託した遺品の中にあった。

 判決5日後の63年12月12日付消印の書簡は「裁判長が原爆は国際法上違法だと言明しておられます事です。此(こ)の一言は世界的で人類にとりまして大きな力となる事でせう」と強調。「被爆者及び死亡者達も草場の蔭(かげ)で喜んでいてくれる事と思ひます」と、核兵器の違法化が無残に命を奪われた犠牲者のためになるという、胸の内をつづる。

 遺族などによると、下田さんは米ハワイ生まれ。20歳を過ぎ、両親の郷里広島に移った。47歳で爆心地から1・4キロの広島市中広町(現西区)の自宅で被爆。長女レイ子さん=当時(16)、三男清さん=同(12)、次女ユリ子さん=同(10)、三女和江さん=同(7)、四女利子さん=同(4)=を亡くした。弟一家は7人全滅。非人道的な被害を強いられ、原水爆禁止を目指す訴訟呼び掛けに応じた。

 先月まで国連本部であった禁止条約の制定交渉会議でも、シモダ・ケースが取り上げられた。いかなる核使用も既存の国際法違反と記した条約前文では、その根拠に無差別攻撃の禁止違反など判決の法解釈に沿う一節が入った。

 下田さんは核兵器の違法性を巡る象徴的な被爆者になったが、判決の5カ月後に死去。原爆資料館、市公文書館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(いずれも中区)は下田さん自身の資料を所蔵していない。遺族は書簡の複写を寄贈する考えでいる。

 原爆裁判に詳しい明治大の小倉康久兼任講師(国際法)は「原爆裁判は広島、長崎での非人道性を『証拠』に原爆使用の違法性を認定した原点で、前文で被爆者に言及した核兵器禁止条約の考え方にもつながる。その象徴的な存在の下田さんの思いが伝わる資料は、非常に貴重だ」と指摘する。(水川恭輔)

原爆裁判
 広島・長崎の被爆者たち5人が、サンフランシスコ講和条約で米国への賠償請求権を放棄した日本政府に損害賠償を求め、1955年に提訴。63年の東京地裁判決は原爆投下を、軍事目標以外を攻撃してはならない、不必要な苦痛を与えてはならないという国際法の原則に反すると認めた。損害賠償請求は棄却。原告、政府とも控訴せず、判決は確定した。

(2017年8月3日朝刊掲載)

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