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学徒全滅の地 碑移設 旧制広島市立中 堤防整備で基町高へ

 広島市中区小網町の天満川河岸緑地に立つ、原爆で犠牲になった旧制広島市立中(市中)の生徒、教職員の慰霊碑が近く、後身の基町高(中区)敷地内へ移される。動員学徒1、2年が全滅した地に立ち、その悲劇を伝えるが、堤防整備をきっかけに移設が決まった。6日の慰霊祭も、現在地での開催はことし限りとなり、遺族から惜しむ声が上がる。

 市中では、爆心地から約900メートルの小網町一帯へ建物疎開作業に動員されていた1、2年生が全滅。同1・4キロの中広町(現西区)にあった学校でも多数が亡くなり、計約370人の犠牲者を出した。

 1948年に学校と遺族会が小網町の三光寺に慰霊碑を建立。より多くの人に訪れてもらおうと75年に現在地に移し、犠牲者名を刻むプレートなどを納める石室を設けた。現在は基町高同窓会が管理している。

 今春、国土交通省太田川河川事務所から堤防整備の説明を受けた同窓会は碑の在り方を協議。周囲の緑地を狭めて残す選択肢はあったが、基町高で学ぶ後輩への継承に役立つことや長期的な維持を考えて移設を決断。早ければ9月中となる堤防整備の着工に先立ち、移設作業に取り掛かる。

 「1、2年生は当時、碑の近くで朝礼をしていたらしい。弟を捜しに行くと、黒焦げの遺体がいくつもあった」。当時、市中4年だった西区の坂上崇さん(87)はその光景を鮮明に覚えている。1年の弟彬さん=当時(12)=は大野陸軍病院(現廿日市市)で見つかったが、被爆3日後に息を引き取った。坂上さんは慰霊祭に欠かさず参列しており「移設は残念だが仕方がない。多くの若い命が奪われた無念の場所であると言い伝えてほしい」と願う。

 同窓会は遺族感情も踏まえ、現在地にモニュメントの新設を検討。西林正樹会長(59)は「記憶を引き継ぐための目印を作りたい」と話す。太田川河川事務所によると、今回の事業では、高潮による周辺の浸水被害を防ぐため、慰霊碑が立つ場所を含めた天満川東岸の約600メートルの区間で1メートルほど土地をかさ上げし堤防を整備する。(長久豪佑)

(2017年8月4日朝刊掲載)

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