社説 ヒロシマ72年 核兵器を断じて使うな
17年8月6日
「あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか? 私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます」
被爆2世の作家朽木祥さんの短編小説「カンナ―あなたへの手紙」(「八月の光―失われた声に耳をすませて」所収)の書き出しだ。あの日、九つの祖母は四つだった弟とピカに遭う。やけど一つなかったのに、弟は焦土のカンナの花をめでて程なくみまかる。祖母は孫に彼のことを忘れないよう最後にこいねがい、この小編は次のように結ばれる。
「あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか。すさまじい力に打ち倒されてもまた咲いた、カンナのような花がきっとあなたの国にもあるでしょう」
採択は大きな節目
この一節はヒロシマ・ナガサキの、いわば想像力を表現したのではないか。あの日から72年。人類史上初の核攻撃を受けた都市の被爆者や市民は、この世界で戦後起きた非人道的な行いにしばしば異議を唱え、犠牲を強いられた国の復興と民の再起に思いをはせてきた。むろん、みたび核兵器を使用させないと訴え続けてきたことは言うまでもない。
その意味で、ことしは大きな節目を迎えた。核兵器禁止条約が122カ国の賛同を得て国連で採択されたのである。核兵器を非合法化する初の国際法だ。使用はもちろん、開発や製造、保有など関連することを全面的に認めない。
底流にあるのは、国際社会で近年注目されてきた「核兵器の非人道性」という概念である。核軍縮は倫理的責務であり「核兵器なき世界」を急ぎ実現させなければならないという決意を示したといえよう。採択へ動いてきた多くの非保有国に被爆地から敬意を表したい。
交渉議長国のコスタリカが示した草案段階から、前文に「hibakusha(ヒバクシャ)」が受けた苦痛を心に刻む、との文言が加えられたことも決意の表れだろう。そのヒバクシャを「核兵器使用の被害者」とし「核実験に影響された人々」の苦難にも言及した。
「抑止論」にも異議
「歴史の証人」として現存する第五福竜丸などの遠洋漁船が米国の核実験の「死の灰」を浴びた日本にとっても、重要な定義といえよう。私たちが生きる核の時代は、民から土地を奪い、命と健康を脅かす核実験によって少なからぬ国々に爪痕を残してきたのである。
さらに、核兵器使用をほのめかす「威嚇」も禁止の対象にした点は「核抑止論」の否定を意味する。核による脅しがもたらす平和は真の平和ではあるまい。ところが、核保有国はおろか被爆国日本までが、条約とりわけ威嚇禁止のくだりについて無視あるいは冷淡さをもって応じていることは納得できない。
広島市の松井一実市長は、けさ読み上げる平和宣言で「良心」や「誠実」という言葉を何度も用いる。「規範」と言い換えてもいいだろう。核兵器の実戦使用を縛ってきた規範が今、崩れゆく恐怖がある。人類の名において、核を断じて使うな、使わせるな、脅しとしても用いるな、と私たちも強く主張する。
「ヒロシマ演説」を残したオバマ氏に代わって米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新や増強を進めている。ウクライナ政変の際には核兵器使用を準備していたと平然と口にしたロシアのプーチン大統領も、質的な核軍拡に動いている。米ロの間に新たな機運を何ら感じられない核軍縮の冬の時代だ。
加えて北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。米ロと同様、この独裁国家もまた核使用のリスクを高める要因に違いない。
艦載機飛行自粛を
日本が保有国と非保有国を「橋渡し」すべきだという見方は、衆目の一致するところだろう。しかし米国の「核の傘」を絶対視して日米同盟の強化をうたい、条約交渉には参加しない安倍晋三政権にその役割は果たせそうもない。
長崎市の田上富久市長は9日の平和宣言で、政府に対し核兵器に依存する安全保障政策の見直しを求めるという。安全保障は重要だが、条約によって明確に「悪の烙印(らくいん)」を押された核兵器にこれ以上こだわる必要はないはずだ。
被爆地の新聞として私たちは昨年、オバマ氏が広島を訪れるに際し、日米同盟の緊密さをこの地で強調するのは控えてほしいとも主張した。この地はそのような「貸座敷」ではない。だが先日、米海兵隊岩国基地(岩国市)への艦載機移転を6日ごろから始めるという、この地の感情を逆なでする情報がもたらされた。
艦載機移転に対する賛否を別にしても、原爆の犠牲者を静かに悼む日に、あの日を思い起こさせる米軍機の機影を一機たりとも見せてはならないし、爆音をとどろかせてはならないはずだ。きょうの飛行の自粛を強く求めたい。
ことしは長崎の動員先で被爆した作家林京子さんの訃報を聞いた。不意の熱線で絶命した教師が「なぜ」という驚きの表情のままだったと、短編小説「道」にある。原爆が過去の問題なら書かないと語った上で、冷戦下の日本への核持ち込みを強く批判し、非核三原則の堅持を求めた評論が本紙に残っている。
72年の歳月が流れても原爆は過去の問題になっていない。それでも諦めることなく核廃絶を求めなければならない。核兵器禁止条約を支えた国々の存在が、私たちを勇気づけてくれていよう。
(2017年8月6日朝刊掲載)
被爆2世の作家朽木祥さんの短編小説「カンナ―あなたへの手紙」(「八月の光―失われた声に耳をすませて」所収)の書き出しだ。あの日、九つの祖母は四つだった弟とピカに遭う。やけど一つなかったのに、弟は焦土のカンナの花をめでて程なくみまかる。祖母は孫に彼のことを忘れないよう最後にこいねがい、この小編は次のように結ばれる。
「あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか。すさまじい力に打ち倒されてもまた咲いた、カンナのような花がきっとあなたの国にもあるでしょう」
採択は大きな節目
この一節はヒロシマ・ナガサキの、いわば想像力を表現したのではないか。あの日から72年。人類史上初の核攻撃を受けた都市の被爆者や市民は、この世界で戦後起きた非人道的な行いにしばしば異議を唱え、犠牲を強いられた国の復興と民の再起に思いをはせてきた。むろん、みたび核兵器を使用させないと訴え続けてきたことは言うまでもない。
その意味で、ことしは大きな節目を迎えた。核兵器禁止条約が122カ国の賛同を得て国連で採択されたのである。核兵器を非合法化する初の国際法だ。使用はもちろん、開発や製造、保有など関連することを全面的に認めない。
底流にあるのは、国際社会で近年注目されてきた「核兵器の非人道性」という概念である。核軍縮は倫理的責務であり「核兵器なき世界」を急ぎ実現させなければならないという決意を示したといえよう。採択へ動いてきた多くの非保有国に被爆地から敬意を表したい。
交渉議長国のコスタリカが示した草案段階から、前文に「hibakusha(ヒバクシャ)」が受けた苦痛を心に刻む、との文言が加えられたことも決意の表れだろう。そのヒバクシャを「核兵器使用の被害者」とし「核実験に影響された人々」の苦難にも言及した。
「抑止論」にも異議
「歴史の証人」として現存する第五福竜丸などの遠洋漁船が米国の核実験の「死の灰」を浴びた日本にとっても、重要な定義といえよう。私たちが生きる核の時代は、民から土地を奪い、命と健康を脅かす核実験によって少なからぬ国々に爪痕を残してきたのである。
さらに、核兵器使用をほのめかす「威嚇」も禁止の対象にした点は「核抑止論」の否定を意味する。核による脅しがもたらす平和は真の平和ではあるまい。ところが、核保有国はおろか被爆国日本までが、条約とりわけ威嚇禁止のくだりについて無視あるいは冷淡さをもって応じていることは納得できない。
広島市の松井一実市長は、けさ読み上げる平和宣言で「良心」や「誠実」という言葉を何度も用いる。「規範」と言い換えてもいいだろう。核兵器の実戦使用を縛ってきた規範が今、崩れゆく恐怖がある。人類の名において、核を断じて使うな、使わせるな、脅しとしても用いるな、と私たちも強く主張する。
「ヒロシマ演説」を残したオバマ氏に代わって米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新や増強を進めている。ウクライナ政変の際には核兵器使用を準備していたと平然と口にしたロシアのプーチン大統領も、質的な核軍拡に動いている。米ロの間に新たな機運を何ら感じられない核軍縮の冬の時代だ。
加えて北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。米ロと同様、この独裁国家もまた核使用のリスクを高める要因に違いない。
艦載機飛行自粛を
日本が保有国と非保有国を「橋渡し」すべきだという見方は、衆目の一致するところだろう。しかし米国の「核の傘」を絶対視して日米同盟の強化をうたい、条約交渉には参加しない安倍晋三政権にその役割は果たせそうもない。
長崎市の田上富久市長は9日の平和宣言で、政府に対し核兵器に依存する安全保障政策の見直しを求めるという。安全保障は重要だが、条約によって明確に「悪の烙印(らくいん)」を押された核兵器にこれ以上こだわる必要はないはずだ。
被爆地の新聞として私たちは昨年、オバマ氏が広島を訪れるに際し、日米同盟の緊密さをこの地で強調するのは控えてほしいとも主張した。この地はそのような「貸座敷」ではない。だが先日、米海兵隊岩国基地(岩国市)への艦載機移転を6日ごろから始めるという、この地の感情を逆なでする情報がもたらされた。
艦載機移転に対する賛否を別にしても、原爆の犠牲者を静かに悼む日に、あの日を思い起こさせる米軍機の機影を一機たりとも見せてはならないし、爆音をとどろかせてはならないはずだ。きょうの飛行の自粛を強く求めたい。
ことしは長崎の動員先で被爆した作家林京子さんの訃報を聞いた。不意の熱線で絶命した教師が「なぜ」という驚きの表情のままだったと、短編小説「道」にある。原爆が過去の問題なら書かないと語った上で、冷戦下の日本への核持ち込みを強く批判し、非核三原則の堅持を求めた評論が本紙に残っている。
72年の歳月が流れても原爆は過去の問題になっていない。それでも諦めることなく核廃絶を求めなければならない。核兵器禁止条約を支えた国々の存在が、私たちを勇気づけてくれていよう。
(2017年8月6日朝刊掲載)