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広島県内各地で慰霊祭

父がいてくれれば/具体的な行動に生かす

  ◆原爆死没者慰霊行事(平和記念公園)
 広島戦災供養会が原爆供養塔前で開き、約400人が参列した。遺族代表の伊井定夫さん(77)=南区=は祖母ちよさんが被爆の14日後、72歳で亡くなった。親戚を捜して市街地へ入り、体調が急変した。「爆風で割れたガラスでけがをした私を、祖母は軍医の元へ連れていってくれたばかりだった。原爆は本当におそろしい」

 ◆広島二中原爆死没者慰霊祭(平和記念公園)
 旧制広島二中(現観音高)の卒業生や遺族たち約250人が、建物疎開作業に動員されるなどした中、亡くなった生徒たち約350人の冥福を祈った。当時1年の中野英治さん(85)=東広島市=は作業現場に向かう途中、広島駅で被爆。「『亡くなった友達の分まで』と思い、今まで生きてきた。参列した後輩に被爆体験を語り継いでいきたい」と誓った。

 ◆県職員原爆犠牲者追悼(中区加古町)
 県職員や遺族たち約160人が、旧県庁跡の慰霊碑で犠牲者を悼んだ。北広島町の林和子さん(86)は、父小椿貫一さん=当時(44)=が本川国民学校で被爆。遺骨は見つかっておらず、墓には唯一の遺品だった帽子を納めているという。「父がいてくれれば、といつも思っていた。熱くてつらかっただろう」としのんだ。

 ◆広島女子高等師範学校付属山中高等女学校・県立広島第二高等女学校合同原爆慰霊祭(中区国泰寺町)
 荒神堂境内にある慰霊碑前に、遺族たち約100人が集まった。山中高女の流れをくむ広島大付属福山高(福山市)の生徒3人も参列。代表して核兵器廃絶を誓った2年名倉のどかさん(17)=福山市=は「日常生活が一瞬で消えた衝撃を、先輩の手記から感じた。平和な毎日に感謝し、守っていく必要がある」との思いを強くした。

 ◆広島赤十字・原爆病院原爆殉職職員ならびに戦没職員慰霊式(中区千田町)
 医師たち約100人が慰霊碑に黙とう。古川善也院長(62)は「核兵器禁止条約が採択された今こそ、原点に立ち返り被爆者に最良の医療を提供しよう」と呼び掛けた。当時、病院併設の救護看護婦養成部2年だった林伸子さん(89)=佐伯区=は「亡くなった同級生たちに生かされている。今年も無事を報告したい」と手を合わせた。

 ◆電気通信関係原爆死没者慰霊式(中区基町)
 遺族たち約80人が、慰霊碑へ祈りをささげた。井原茂子さん(74)=廿日市市=の兄堀田義治さん=当時(18)=は、出勤途中に被爆したとみられ、行方は分からないままだ。兄を捜し続けた母も、12年前に100歳で亡くなった。「爆心地で見つけたとっくりが兄の遺骨代わり。母の無念さが胸に込み上げてくる」と目を潤ませた。

 ◆広島郵便局原爆殉職者慰霊祭(南区比治山町)
 遺族や職員たち約70人が多聞院に集まり、288人の殉職者を追悼。終了後、境内にある慰霊碑前での読経に手を合わせた。参列者は年々、減少しているという。父七郎さん=当時(29)=を失った中本俊明さん(75)=安佐北区=は「北朝鮮の動きが最も気になる。再び核兵器が使われれば、世界は終わってしまう」と国際情勢を案じた。

 ◆国土交通省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式(平和記念公園)
 原爆ドームそばの慰霊碑前で、遺族や職員たち約90人が黙とうした。兵庫県川西市の辻本稔さん(82)は、中国四国土木出張所(現中国地方整備局)庶務課に勤務していた姉元枝さん=当時(14)=が被爆死。「よく遊んでくれた優しい人。こんなに悲惨な出来事は決して繰り返してはいけない」と語気を強めた。

 ◆日本損害保険協会中国支部「友愛の碑」慰霊祭(中区中島町)
 平和大通り南側の緑地帯にある碑前で、損害保険会社の社員たち約400人が犠牲者89人をしのんだ。関連の12社の代表が献花し、全員で黙とう。県損害保険代理業協会の㫖山(むねやま)忠秀会長(62)=安佐南区=は「被爆者の父はあまり体験を語らずに死んだ。私たちが伝承する必要があり、若い社員にも思いを深めてほしい」と望んだ。

 ◆広島市立広島商業高原爆死没者慰霊祭(平和記念公園)
 市立広島商業高と、姉妹校の長崎市立長崎商業高の生徒たち約150人が参列。遺族とともに1人ずつ、献花した。両校の生徒代表が、2007年にまとめた「共同平和宣言」を読み上げ、被爆体験の継承を約束した。広島商業高代表の3年藤側天音さん(18)は「平和への思いを、具体的な行動に生かしたい」と表情を引き締めた。

日常過ごせることに感謝/遺族の思い想像を

 ◆広島高等師範学校付属中原爆死没者・戦没者慰霊追悼の集い(南区翠)
 後身の広島大付属中高の敷地内にある慰霊碑前で、当時の生徒や遺族たち計約170人が犠牲者に思いをはせた。遺族代表の松江達樹さん(84)=佐伯区=は、軍医だった父龍一さん=当時(36)=を原爆で失い、骨も見つからなかった。「参列した現役の生徒は孫の世代。自分の力で物事を考えることが、平和につながる」と話した。

 ◆県動員学徒等犠牲者の会原爆死没者追悼式(平和記念公園)
 遺族たち約300人が、原爆ドーム近くの慰霊塔前に集った。兄を亡くした西区の室津精利さん(77)は「兄は髪の毛しか見つからなかった。戦争や核兵器の使用はあってはならない」と訴えた。学徒315人が犠牲となった安田女子高(中区)の生徒も訪れ、2年若槻真由さん(16)=は「日常を普通に過ごせることに感謝したい」

 ◆嵐の中の母子像供養式(中区中島町)
 広島市地域女性団体連絡協議会の約70人が参加。子を抱いて嵐の中を進む母親を表現した像の前で黙とうし、「原爆を許すまじ」を斉唱した。月村佳子会長(73)=西区=は「母が子を必死に守る思いが伝わる。子どもたちの命が一瞬で奪われた悲劇を繰り返さないよう、命の大切さを未来に伝えていかなければならない」と誓った。

 ◆県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式(中区小町)
 跡地にある慰霊碑前に、遺族たち約300人が参列した。安佐南区の向井伊世子さん(78)の姉角川元子さん=当時(12)=は、勤労奉仕中に被爆死した。父たちが連れ帰った姉の白くきれいな顔が、今でも忘れられないという。「身内が犠牲となった遺族がどんな思いで生活しているか、想像してほしい」と戦争反対を訴えた。

 ◆広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式(中区中島町)
 広島市立第一高等女学校(現舟入高)の卒業生や遺族たち約400人が、慰霊碑に花をささげた。舟入高の吹奏楽部の演奏で両校の校歌も斉唱した。当時4年生で、約40人いた級友の半数を失った小泉稔枝さん(89)=南区=は「あんなに苦しい思いは二度としたくない。若い後輩に平和への思いを引き継いでもらいたい」と願った。

 ◆広島大原爆死没者追悼式(中区東千田町)
 遺族と大学関係者約100人が、追悼碑に花と水をささげた。大阪市の伊藤千恵美さん(58)は初めての参列。2015年に86歳で死去した父基一さんは、広島工業専門学校(現広島大工学部)で受講中に被爆し、一時は余命1週間とされた。「父は奇跡的に助かったが、何の罪もない市民が犠牲になったと思うといたたまれない」

 ◆県被団協(坪井直理事長)原爆死没者追悼慰霊式典(中区基町)
 会員や遺族約100人が犠牲者を悼んだ。千田国民学校(現千田小)に通っていた天野允夫さん(80)=安佐北区=は、学校に行こうと南千田町の自宅を出た瞬間に被爆。兄はやけどで耳が溶けてなくなり、父は被爆から約1年後に死んだ。「思い出すとつらいが、忘れてはいけない。これからもずっと参列を続けたい」

 ◆原爆犠牲新聞労働者「不戦の碑」碑前祭(中区加古町)
 新聞、通信9社の社員や遺族たち約70人が「二度と戦争に加担しない」と誓った。碑には133人の名前が刻まれている。碑をデザインした元中国新聞社員の寺本省三さん(79)=安佐南区=は、「原爆の惨状は体験した人にしか分からない。若い人は被爆者の声を聞いてほしい」

 ◆国鉄原爆死没者慰霊式(中区東白島町)
 遺族たち約120人が参列。慰霊碑に刻まれた「天を撃つな」で始まる詩に、曲をつけた歌などが披露された。西区の栗栖葉子さん(85)は「車掌になりたい」と語っていた弟の吉田貞丸さん=当時(18)=を亡くした。「参列者の減少を、今年は特に感じた。被爆者だけではなく、遺族も高齢化している」と危機感を募らせた。

(2017年8月7日朝刊掲載)

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