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「きのこ会」初代会長 畠中国三さんが死去

 胎内被爆した原爆小頭症患者と家族らの会「きのこ会」で初代会長を務めた畠中国三(はたなか・くにぞう)さん=岩国市=が、脳梗塞(こうそく)のために11月6日に大竹市内の病院で亡くなっていたことが16日、分かった。92歳だった。葬儀は親族で済ませた。

 三原市出身。広島で胎内被爆し、障害を伴って生まれた次女百合子さん(62)とともに1959年に実名を明かし、国の援護がなかった小頭症患者と家族への支援を訴えた。

 岩国市の米軍基地近くで理髪店を営む傍ら作家の故山代巴さんらの呼び掛けを受けて1965年、患者や親たちで「きのこ会」を結成。初代会長に就いた。運動の成果もあって国は1967年、小頭症と原爆との因果関係を認めた。「近距離早期胎内被爆症候群」として旧原爆医療法の認定疾病に位置付けられ、手当支給も実現した。

 畠中さん親子は国内外の多くのメディアの取材に応じ、平和集会などで体験談を語って原爆の悲惨さを訴え続けた。体調を崩して一線を退き、2005年に広島市であったきのこ会の誕生会に親子で参加したのが公の場に出る最後となった。交流があった会のメンバーで俳優の斉藤とも子さん(47)は「大黒柱を失ったが、託された思いを消すわけにはいかない」と強調した。

(2008年12月17日朝刊掲載)


「今後の支援どうする」 広島・山口で惜しむ声

 原爆小頭症の次女百合子さんとともに原爆のむごさを訴え続けた畠中国三さん=岩国市=が92歳で亡くなった。小頭症患者と家族らでつくる「きのこ会」の初代会長を務め、被爆者運動を支えた。広島、山口両県の関係者からは惜しむ声が相次いだ。

 きのこ会事務局の秋信利彦さん(73)=広島市佐伯区=は「すべての子の父親的存在だった。大事な人を亡くした」。メンバーで県立広島大の村上須賀子教授(63)は「障害のある百合子さんの姿を世に伝えることに使命を燃やしていた。理不尽に立ち向かい、人として生きる姿を教えてもらった」と振り返った。

 会には現在も18人がいる。支援する中国放送企画部長平尾直政さん(45)=中区=は「親が亡くなり、ひとりぼっちの患者も少なくない。どう支えるかがこれからの課題」とも話した。

 岩国市の磯野恭子教育長はテレビ局時代の約30年前、畠中さんと百合子さんのドキュメンタリーを制作した。「『百合子がいるから自分は生きているし、平和の思いも続く』が口癖だった」

 山口市の県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」職員の上野さえ子さん(60)も、親子の姿を鮮明に記憶に残す。被爆者援護法制定を求めて1981年度に山口市など3カ所で開催した「国民法廷」。親子はすべて出席し、核兵器廃絶を訴えた。「再び戦争を起こしてはいけないとの気持ちが強かったのだろう」。上野さんは思い返した。

(2008年12月17日朝刊掲載)

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