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8・6 広島県北でも慰霊

 広島県北でも6日、原爆犠牲者を追悼する慰霊祭などがあり、平和への思いを新たにした。(山本堅太郎、八百村耕平)

三良坂で中学生ら追悼式典

 三次市三良坂町の三良坂平和公園では、原爆死没者追悼式典が催された。三良坂中1~3年の66人を含む150人が犠牲者の冥福を祈った。

 主催した三良坂平和を願う会の田口正行会長(60)が「被爆者の数が年々減っているからこそ、戦争をしない決意を次世代につないでいこう」とあいさつ。参列者は平和を願う記念碑「母と子―わたす像」に菊を手向けた。

 三良坂中3年の桐田彩凪(あやな)さん(15)は「自分たちは絶対戦争をしないから安らかに眠ってください、と心の中で訴えながら献花した」と話していた。

 同市高杉町の神杉コミュニティセンターでは、平和学習会があり、市民たち約50人が参加した。同市廻神町の善徳寺に学童疎開していた時に原爆で両親ときょうだいを亡くし、入市被爆した川本省三さん(83)=広島市西区=が講演。原爆孤児として戦後を生き抜いたことや、同様の体験をした子どもが多かった現実を語った。

臨時病棟 犠牲者悼む 庄原

 庄原市では、被爆者の臨時病棟が設けられた山内町で、亡くなった88人を悼む原爆犠牲者慰霊祭が営まれ、遺族たち約90人が冥福を祈った。犠牲者の遺体処理に関わった被爆者も静かに手を合わせた。

 参列者の1人、同町の土井昭二さん(90)はあの日、広島市皆実町(現南区)の広島地方専売局で被爆。建物内にいたため、熱線を浴びずに助かった、という。終戦後に地元へ戻ると、病棟で亡くなった人を山で焼く手伝いをした。遺体を担いで山に登り、木を切り出して焼く作業を繰り返した。

 当時の火葬場所近くに立つ慰霊碑には、88人の遺骨が眠る。土井さんは「戦争は地獄をつくりだす。二度と起こしちゃならん」と訴えた。

 慰霊祭では、山内地区社会福祉協議会の三橋豊会長(69)が、1945年8月9日に山内西国民学校(現山内小)に広島陸軍病院庄原分院山内病棟が置かれ、運ばれてきた被爆者270人の看護に住民が協力した歴史を紹介した。

被爆ピアノ 平和の音色 高宮 来原小で演奏会

 被爆ピアノのコンサートが5日夕、安芸高田市高宮町の来原小体育館であり、市民たち約70人が平和を願う音色に聞き入った。

 ピアノは爆心地から約2・5キロ離れた広島市段原山崎町(現南区)で被爆。持ち主から依頼を受けた安佐南区の調律師矢川光則さん(65)が修復し、今も突き刺さったガラス片の痕が残る。

 コンサートでは、広島市を拠点に活動するメゾソプラノ歌手谷岡広美さん(36)がピアノの来歴を紹介。ピアニスト吉川絢子さん(30)と「原爆を許すまじ」など9曲を披露した。

 また地元の小中学生たち計5組も連弾で鍵盤を弾いた=写真。その1人の同小4年市尻陽菜(いちじり・はるな)さん(10)は「きれいな音色だった。戦争を再び起こしてはいけない」と誓った。来原コミュニティ連絡協議会の主催。

(2017年8月7日朝刊掲載)

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