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若者の力 懸け橋 安芸太田中の姉妹 故岡さんの証言 心に

直接聞ける最後の世代。 いつか、 自らの言葉で紡ぎたい

 二度と同じ悲劇を繰り返さぬために―。苦難の道を歩んだ被爆者の思いは7月、核兵器禁止条約制定という形で結実した。しかし、核兵器保有国と非保有国が対立し、条約が効力を発揮できるかどうかは見通せない。制定後初の「原爆の日」の6日、条約の前進を求める声が被爆地広島に響いた。被爆から72年。老いる被爆者の思いを継ごうとする若者たちの姿もあった。核兵器のない世界へ、希望と焦燥が交錯した。

 原爆による広島壊滅の第一報を伝え、5月に86歳で亡くなった岡ヨシエさんから被爆体験を聞いた広島県安芸太田町の姉妹が、広島市中区の広島城本丸跡にある中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)を訪ねた。「頑張って。あなたたちが(直接証言を聞ける)最後の世代よ」。そう励ましてくれた岡さんを、2人は初めて証言を聞いた地で悼み、記憶の継承を誓った。

 「窓から爆風が入って気を失った場面が、怖くて忘れられない」。安芸太田中3年庄野愛梨さん(14)と同2年華穂さん(13)は、初めて岡さんに会った2年前の夏を振り返った。

 岡さんは、当時は入ることができた司令部跡で、淡々と、しかし魂を込めて語ってくれた。動員されていた作戦室から「広島が全滅しています」と福山の部隊に知らせたこと。多くの級友の死に胸を痛めたこと。その言葉は今も心に刻んでいる。

 司令部跡近くでこの日、岡さんの比治山高等女学校(現比治山女子中・高)の同級生で同じ作戦室で被爆した倉田美佐子さん(86)=中区=に偶然出会い、当時の宿舎跡を案内してもらった。「被爆者の証言をもっと聞きたい」。岡さんが引き合わせてくれたかのような出会いに感謝した。

 平和運動と原爆被害の研究に尽力した広島女学院大名誉教授の庄野直美さん(2012年に86歳で死去)が2人の父方の親戚にいる。活動を聞くうち、原爆について学びたいと考え始めた。祖母が岡さんと友人だった縁で15年8月、初めて体験を聞いた。

 今年3月、入院中の岡さんを見舞った。「もう一回体験を聞きたい」と言うと「また会おうね」。それが最後の会話になった。「被爆後も長男と夫を亡くしながら、約30年間懸命に証言を続けてきた人生に心を打たれた」と愛梨さん。華穂さんも「強く生きる気持ちをもらった」と振り返る。

 司令部跡を訪れる前、2人は天国の岡さんに感謝の手紙をしたためた。愛梨さんは「夢は教師」とつづった。いつか岡さんの被爆体験を、人生を、自らの言葉で紡いでいきたい―。岡さんの励ましが、優しく背中を押している。(野田華奈子)

(2017年8月7日朝刊掲載)

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