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継承 増す重み 孫と広島へ 亡き母の願い

資料館や式典 肌で感じた平和のバトン

 72回目となる原爆の日を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園や周辺は、犠牲者を悼む市民の祈りで終日、包まれた。「あの日」を思わせる強い日差しが照り付ける中、平和記念式典には遺族たちがそれぞれの思いを胸に参列。各地であった慰霊祭では、参列者が被爆の記憶を語り継いでいくと誓い合った。

 「孫と一緒に広島に行きたい」。秋田県の遺族代表夏井智泉(ともじ)さん(44)=秋田市=は、亡き母の願いをかなえた。中学3年の長男慧(けい)匠(じゅ)さん(15)、小学4年の次男大翔(やまと)君(9)とともに平和記念式典へ参列し、平和への思いをつないだ。

 母の佐藤里枝さんは4歳の時、家族と疎開先に向かう途中に楠木町(現西区)で被爆した。1962年に秋田市へ移り住み、地元の小学校などで被爆体験を証言していた。大腸がんのため2012年4月、70歳で死去した。

 長女の智泉さんは、遺品である新聞切り抜きを見返していて、あらためて1本の記事に目が留まった。証言活動を伝える写真説明に、孫とともに広島を訪れたいという思いが記されていた。ことしの遺族代表を打診され、2人の息子を連れていこうと決意した。

 広島を初めて訪れる2人は記事を読み、5日には原爆資料館も見学した。慧匠さんは「祖母は『原爆は人としてやってはいけないこと』と語っていた。広島であらためて、平和の大切さを実感できた」と振り返る。

 智泉さんは式典後、原爆慰霊碑の前で2人に優しいまなざしを向けた。「一番重要なのは、肌で感じること。息子に平和のバトンを渡すことができた」。引き締まった表情を見て、そう実感した。(渡辺裕明)

(2017年8月7日朝刊掲載)

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