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「原爆稲」児童が栽培 長崎から継承 府中の栗生小で

目立つ「空もみ」 被爆の影響学ぶ

 府中市栗柄町の栗生小児童が、原爆が投下された長崎の爆心地近くで、被爆後に穂を実らせた稲の子孫「原爆稲」を育てている。6月に地元の住民グループから苗を譲り受けた。栽培を通し平和の大切さを学ぶ。

 校舎前のプランターで育てる稲は、5年生が世話をしている。現在、苗は高さ60センチを超えた。5年赤繁咲多君(11)は「自然の力はすごい」と成長を期待する。

 田んぼアートなどに取り組む「くりぶ里山倶楽部(くらぶ)」が3年前に、三次市内の農家から稲をもらった。同倶楽部が栽培したところ、実った穂の半分程度はもみが空だった。

 原爆稲は当時の放射線の影響で、実が入っていないもみが多く付くという。水田俊雄代表(70)は「今も被爆の影響が残る。育てながら原爆の怖さや平和の大切さを感じてほしい」。児童の祖父母も戦後生まれが増える中、平和学習の教材になればと苗を渡した。

 児童は日々、観察し、10月の収穫などの機会に稲や平和について学ぶ。5年石岡愛夏さん(11)は「大事に育てて受け継いでいく」と苗を見つめる。

 稲は、種もみを管理する九州大から1995年に、同大農学部出身の古賀毅敏さん(76)=福岡市中央区=が譲り受け、「長崎原爆稲を植え継ぐ会」として無償配布するなどしている。同会代表の古賀さん☎092(722)0922。(山崎雄一)

原爆稲

 1945年10月、国の調査に加わった九州大農学部が、長崎市の爆心地から約500メートルの浦上天主堂近くの水田で採取した稲の子孫。放射線の影響で染色体が切断されて入れ替わる転座が起きたため、子孫の苗も、もみの半分程度は中身が空になる。同大が研究のために栽培を続けている。

(2017年8月8日朝刊掲載)

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