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社説・コラム

『潮流』 私設戦災資料館の閉館

■岡山支局長 岩崎秀史

 岡山市中区にある私設の戦災資料館が6月で閉館した。元中学校長の日笠俊男さん(83)が自宅に2000年に開いた岡山空襲資料センターだ。

 日笠さんは1945年6月29日の岡山空襲を体験した。当時、国民学校6年生で11歳。自宅を焼失した。「ひどい目に遭ったあの空襲は何だったのか」と疑問を抱き続けてきた。退職後、前身の研究会を97年に設立し、本格的に調査を始めた。

 被災者たちの証言を聞き取り、官庁や事業所の日誌などを調べ、米軍資料と照合する作業を重ねた。記録によって異なるB29爆撃機の飛来数、投下された焼夷(しょうい)弾の種類、警報発令の有無などを検証してきた。

 戦意を喪失させるために市民を狙った無差別爆撃によって、当時の市街地の約60%が焼かれ、死者は行方不明者や負傷による関連死を含めると2千人を超えたとみる。岡山空襲以外の岡山県内の空襲も調査し、9冊のブックレットなどにまとめてきた。

 「米国は悪い」と信じて疑わない軍国少年は、空襲で一気に打ちひしがれた。もろく破綻していた防空体制、裏腹の本土決戦に備えた戦意発揚…。「なぜ戦争をしたのかを調べ、無知を自覚した。戦争に協力した国民も反省しないといけない」と自戒する。

 「虚構の記録を後世に残したくない」と丹念な検証作業を貫いたのは、うそがまかり通った時代を繰り返してはならないという思いとも重なる。

 岡山空襲資料センターを閉じたのは、「数え方によっては数千、数万点」という収集資料を個人で保管、整理するのに限界を感じたからという。

 だが研究は続けている。72年が過ぎ、名前の分かっていない死者も依然多い。突然奪われた一人一人の命に思いをはせる日笠さんの営みに変わりはない。

(2017年8月15日朝刊掲載)

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