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「写真家」チェ・ゲバラに触れて 広島でも来月展示 

長男の思い 強烈だった被爆地の印象

 その鮮烈な生涯が、今も人々を魅了してやまないキューバ革命の指導者チェ・ゲバラ(1928~67年)。没後50年の今年、彼が自ら撮影した写真の日本初公開となる展覧会が東京で開催中で、一部は広島市にも巡回する。「〝写真家〟チェ・ゲバラの感性に触れてほしい」。今月、原爆の日に合わせて初めて広島を訪れた長男カミーロ・ゲバラさん(55)は力を込めた。(道面雅量)

 カミーロさんは現在、チェ・ゲバラ研究所(ハバナ)のコーディネーターを務める。写真展や、チェと一緒にボリビアで戦った日系人を描く10月公開の映画「エルネスト」(阪本順治監督)のPRも兼ね、来日した。

 広島は、チェが59年7月、樹立間もないキューバ革命政府の使節団長として来日した際に足を延ばした地だ。「広島訪問は予定になかったが、父が強く希望した」。広島から妻アレイダ宛てに送った絵はがきに、チェは「平和のために断固闘うにはこの地を訪れるべきだと思う」と記した。

 「父は世界中から家族へはがきを送ったが、近況をユーモアや皮肉を交えてつづるのが常。こんな表現は他にない」。広島の印象がいかに強烈だったかを物語る。

 東京展に並ぶ約240点には、広島で当時撮影した平和記念公園(中区)の写真も含まれる。「今では周辺の景色が変わっている。歴史的記録としても貴重では」。広島で撮ったカットやはがきの画像は広島展にも並ぶ予定だ。

 カミーロさんが3歳の時、チェはキューバの家族の元を離れ、コンゴ、さらにボリビアへと革命闘争のために渡る。父を巡る直接の記憶は乏しいが、残された写真が「父の人生、父が生きた時代、何よりも父の感性を伝えてくれる」と強調する。例えば、キューバのマエストラ山脈の村で撮った子どもの笑顔。「ゲリラ戦の軍隊を率いて入った地だが、貧しく識字率も低い村に学校を建設し、村人に溶け込んで奉仕した。写真の中の子のほほえみが証すものを感じてほしい」

 チェは広島を訪ねた際、原爆資料館(同)などで通訳に当たった県庁職員に、「あなたたち、こんなひどい目に遭っても怒らないのか」と告げたとされる。「父は帝国主義と戦い続けた。米国が日本だけでなく、他の国々でもしていることへの思いが、そんな言葉になったのだろう」。ここにも、鮮烈というよりは痛烈な「チェの感性」がある。

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 写真展は27日まで、東京都目黒区の恵比寿ガーデンプレイスで「写真家チェ・ゲバラが見た世界」のタイトルで開かれている。一部が巡回する「広島・キューバ展」は9月16~24日、広島市中区の旧日本銀行広島支店で。

(2017年8月19日朝刊掲載)

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