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社説・コラム

天風録 『土山秀夫さん』

 「うんと幸せにならんばいかん」。長崎弁で学生服姿の浩二が力を込める。「僕と一緒に原爆で死んだ何万人もの人たちの願いなんだ」と。被爆死した医学生の息子が母の前に現れる映画「母と暮(くら)せば」に、そんなせりふがある▲浩二のモデルになったのは、元長崎大学長の土山秀夫さんという。実際は被爆死を免れて、戦後ずっと被爆者医療や核廃絶・平和運動に尽くしてきた。まさにナガサキに生涯をささげた人だが、おととい訃報が届いた▲被爆の惨状や医学生の体験を、山田洋次監督が土山さんに聞き、浩二の人物像を膨らませた。きっと母思いの優しさも。長崎の医学生だった土山さんはあの日、佐賀に母を見舞っていた。翌日、救護のため長崎へ戻り、入市被爆した▲核の傘からの脱却や核兵器禁止条約の必要性を理論的に唱えた。熱い情も胸の奥に抱いていた。兄一家4人をはじめ原爆に命を奪われた人々の無念が活動の原動力だったろう。核をなくし、幸せにならんばいかん―と▲北東アジア非核化も訴えたが、北朝鮮がまた核実験をした。非難する一方で、米国には自制を求めねばならない。土山さんの遺志を継ぎ、粘り強く理論と感情の両輪で歩もう。

(2017年9月4日朝刊掲載)

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