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社説・コラム

『言』 原発事故と野生動物 人間の生活圏 どう守るか

◆東京農工大研究員 奥田圭さん

 東京電力福島第1原発事故から間もなく6年半となる。原発周辺地域では避難指示の解除が進むが、古里帰還に二の足を踏む住民が少なくない。イノシシなどの野生動物が人里をわが物顔で歩き、荒らされた民家では感染症のリスクもあるからだ。2015年春から実地調査を続ける東京農工大の奥田圭・産学官連携研究員(31)に現状や課題を聞いた。(論説委員・下久保聖司、写真・浜岡学)

  ―行政によるアンケートでは帰還をためらう理由として、病院やスーパーなどの生活インフラの復興の遅れに次いで、獣害を挙げる声が多いようです。
 原発周辺の浜通り地域の家々では、地震の揺れで家財道具が散乱した上に、イノシシなどのふん尿やネズミなどの死骸が至る所にあります。動物研究者の私でさえ言葉を失ったほどです。屋根裏や軒下など目に付かない所にもアライグマなどが入り込み、人間が再び暮らすには衛生面で問題が大きい。

  ―感染症が心配ですね。
 ええ。乾燥して粉になった動物のふんが空気中を漂っており人が吸い込んだらどんな病気になるか分かりません。動物が持ち込んだダニも恐怖です。中でも注意すべきは、ペットから野生化したアライグマでしょう。もし狂犬病を持っている個体にかまれたら一大事。さらにアライグマの体内に寄生虫がいて田畑でふんをすれば、卵が土に残る。将来、農業を再開する上で大きな障害になるでしょう。

  ―なぜ、人間の生活圏まで野生動物が入り込んだのですか。
 呼び水となったのは庭先の柿の木だと思います。浜通り地域の日本家屋は福島特産のあんぽ柿を植えている家が多く、これを狙って動物が来ました。さらに一帯の田畑に張り巡らされた水路が、元来臆病な性格のアライグマやタヌキなどには好都合なようです。身を隠しつつ、人里を歩き回る格好の通路となっています。対照的にイノシシは全く人間を恐れず、大胆に振る舞っています。

  ―人間を見ても、イノシシは逃げ出さないのですか。
 まるで気に留めていません。なぜなら原発事故以来、この地域のイノシシが目にしてきた人間は除染作業員だったからです。人間は危害を与えない存在だと認識したのでしょう。ただ不用意に近づくと襲われます。

  ―原発周辺地域で野生動物の調査を始めたのはなぜですか。
 宇都宮大でシカの生態研究をしていた14年、福島大環境放射能研究所の研究者公募がありました。野生動物関連の研究ポストは珍しく、すぐに応募しました。教授とともに野生動物の被(ひ)曝(ばく)線量を調べる過程で、獣害についても調べてほしいとの声を行政や住民から聞きました。15年春から無人撮影のセンサーカメラを設置すると、どの映像にも必ず動物が映っており、被害の深刻さをあらためて痛感しました。

  ―住民の帰還促進へ、どのような対策が必要でしょうか。
 まず柵を設けて人間の生活圏を確保することです。福島県浪江町などは設置補助を出していますが、少人数ではカバーできる範囲に限界がある。古里帰還という言葉には確かに夢がありますが、野生動物のすみかに人間が飛び込むと言った方が今では正確でしょう。

 人間の生活圏を決め、その中に行政機関や病院、学校、スーパーなどを集約するコンパクトシティー化が必要になるでしょう。獣害に苦しむ全国の他地域にも必要な発想だと思います。

  ―どういうことですか。
 急激な人口減少や過疎化によって人間と野生動物のすみかを巡るせめぎ合いはもっと激しくなる。耕作放棄地や空き家がこれ以上増えると、今の原発周辺地域と同じように獣の解放区となってもおかしくない。中国地方にも当てはまるでしょう。

 捕獲や追い払いによって動物を山奥に遠ざける努力は怠ってはなりません。とはいえ猟友会では高齢化や人手不足が進んでいます。どこまでの範囲を人間の生活圏として守っていくか、地域ぐるみで考えねばならない。野生動物の生態に通じ、地域の将来ビジョン策定にアドバイスできるような人材を国や大学が育て、各自治体に配置してほしいものです。

おくだ・けい
 神奈川県秦野市生まれ。岡山理科大総合情報学部卒。宇都宮大大学院農学研究科修士課程と東京農工大連合農学研究科博士課程をそれぞれ修了。農学博士(野生動物管理学)。福島大環境放射能研究所特任助教などを経て、今年5月から現職。編著に「とちぎの野生動物 私たちの研究のカタチ」。東京都多摩市在住。

(2017年9月6日朝刊掲載)

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