×

社説・コラム

『潮流』 磯野恭子さんの「共鳴」

■論説主幹 佐田尾信作

 マスコミ志望の一学生だった頃から読み返してきた本がある。「お前はただの現在にすぎない」という奇妙な書名だが、テレビ論であり、ノンフィクションでもある。9年前に復刊されて朝日文庫で読める。

 時は1968年―。TBSで成田空港反対闘争に絡む「偏向報道」問題が起き、局員の配転からキャスター田英夫氏(後に参院議員)の降板にまで発展した。局員の有志は独立して制作者集団・テレビマンユニオンを起こしたが、その渦中にあって多くの放送人たちが「テレビに何が可能なのか」議論を重ねた。

 その議論を基に編まれた本書はテレビに18の定義を与えている。その一つが<テレビは時間である>。時間を政治的に編集して「歴史」にしてしまうのが権力なら、あるがままに示すのがテレビだという。本来は権力とは相いれない存在だったはずである。

 8月に亡くなった元山口放送ディレクター、磯野恭子さんの著書「ドキュメンタリーの現場」(大阪書籍)を読み返すと、この人も自らの仕事をこうつづっている。<取材対象に対してレンズでいかに至近距離まで追っていけるか>

 原爆小頭症の畠中百合子さんの一家、人間魚雷「回天」で殉職した和田稔少尉の遺族、旧満州(中国東北部)で辛酸をなめた日本人残留婦人…。一連の密着取材で数々の賞を受けた功績は結果にすぎない。「ただの現在」から、いかに本質に迫るか―。放送の仕事の根っこにあったのは、その一点だったのだろう。

 テレビマンユニオン代表だった村木良彦氏は「事実を簡単に認識できると思うな。それはコミュニケーションによってしか立ち現れない」と語っていたという。磯野さんの言葉を借りれば、相手への「共鳴」だろうか。記録者の死、テレビの本質を知る人の死を、惜しむばかりである。

(2017年9月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ