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社説・コラム

『潮流』 丸木スマの小宇宙

■論説委員 森田裕美

 向き合うと、こちらまで自然と口角が上がる。そんな自画像に出合った。

 埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館で開かれている企画展の冒頭。「おばあさん画伯」として親しまれた画家丸木スマ(1875~1956年)の筆によるしわくちゃの笑顔が、出迎えてくれた。

 スマは、「原爆の図」を妻・俊と共同制作した画家丸木位里の母である。俊の勧めで70歳を過ぎて絵筆を執り、身近な生き物や草花を、思うがままの色使いで、力強く描き続けた。

 木々の緑を花が彩り、戯れる犬や猫のそばで鳥やチョウが舞う―。自然への慈しみに満ちた作品群は、生きとし生けるものの命が響き合う小宇宙のよう。そこにいるだけで癒やされた。

 心がささくれだっていたから余計にそう感じたのかもしれない。北朝鮮情勢が緊迫する中、核に核で対峙(たいじ)する「核抑止論」が、当然のように取り沙汰されているからだ。

 韓国では米軍の戦術核再配備を求める声が高まっているという。日本国内でも政治家から非核三原則を揺るがす発言が飛び出す。

 72年前、米国によって落とされた原爆で今なお苦しむ被爆者たちの声を、取材を通じて聞き続けてきた。その非人道兵器が、国家のパワーバランスや政治的駆け引きの道具としてのみ語られるのがとても悲しい。

 企画展には、爆心地から2・5キロの自宅で被爆して一命を取り留めたスマが、大やけどを負って逃げまどう人々を生々しく描いた絵も並ぶ。被爆当日は広島にいなかった位里と俊に、スマはきのこ雲の下の地獄を語り続けたという。

 「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」。スマが生前よく口にした言葉である。スマが残した「小宇宙」は、自然の一部として生きることを忘れ、核を手におごり高ぶる人類への「戒め」に思えてならない。

(2017年9月16日朝刊掲載)

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