空襲爪痕残る寺や橋訪ねる 福山で20人
17年9月25日
1945年8月8日の福山空襲で被害を受けた寺や橋を訪ねる戦争遺跡巡りが24日、福山市内であった。同市と倉敷市の約20人が参加し、空襲の爪痕を見て回った。
参加者は、焼夷(しょうい)弾の傷痕が残る光善寺(東町)や陸軍歩兵第41連隊の兵営跡(緑町)など、14カ所の遺跡を巡った。同行した市人権平和資料館の職員たちが、それぞれの被害の状況などを説明した。
土橋と呼ばれる橋(吉津町)では、欄干が空襲の炎と熱風で破損し、金属の灯籠が軍隊に没収されたことを聞き、熱心にメモを取っていた。
倉敷市の地方公務員吉田弘実さん(61)は「実際の被害を見て、戦争の愚かさやむなしさを感じた」と話していた。戦争遺跡巡りは同資料館の主催で2007年から毎年開催している。(細田一歩)
(2017年9月25日朝刊掲載)
参加者は、焼夷(しょうい)弾の傷痕が残る光善寺(東町)や陸軍歩兵第41連隊の兵営跡(緑町)など、14カ所の遺跡を巡った。同行した市人権平和資料館の職員たちが、それぞれの被害の状況などを説明した。
土橋と呼ばれる橋(吉津町)では、欄干が空襲の炎と熱風で破損し、金属の灯籠が軍隊に没収されたことを聞き、熱心にメモを取っていた。
倉敷市の地方公務員吉田弘実さん(61)は「実際の被害を見て、戦争の愚かさやむなしさを感じた」と話していた。戦争遺跡巡りは同資料館の主催で2007年から毎年開催している。(細田一歩)
(2017年9月25日朝刊掲載)