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佐伯敏子さん死去 原爆供養塔40年以上清掃 97歳

 広島市中区の平和記念公園にある原爆供養塔の清掃を40年以上続け、被爆証言活動に尽力した広島市東区の被爆者、佐伯敏子(さいき・としこ)さんが3日、市内の病院で死去した。97歳。広島市安佐南区出身。葬儀は4日、近親者で営まれた。

 原爆投下当時、広島県伴村(現広島市安佐南区)の姉の家にいた。家族を捜しにその日から連日、広島市内へ入って被爆し、急性症状に苦しんだ。母親や兄妹、夫の両親たち親類13人を原爆で失った。

 「犠牲者の声なき声を伝えるのが、あの日を知る者の務め」と語り、1998年に脳梗塞で倒れるまで40年以上、引き取り手がない約7万人の遺骨が納められた原爆供養塔にバスで1時間半かけて毎日通い、草取りや掃除を続けた。名前が判明している遺骨の遺族を捜し歩く傍ら、平和記念公園を訪れる観光客や修学旅行生に被爆体験を語った。2005年、こうした活動がたたえられ、広島市民賞を受賞した。(野田華奈子)

思いと活動継承誓う 市民ら悼む

 声なき犠牲者に寄り添い、原爆の惨禍と平和の尊さを訴え続けてきた―。広島市東区の被爆者、佐伯敏子さんの訃報が伝わった4日、姿勢に共鳴する市民たちは、平和記念公園の原爆供養塔にいた在りし日の姿をしのび、その思いと活動の継承を誓った。

 佐伯さんと約30年にわたって親交がある平岡満子さん(76)=東区=は、感化されて毎月6日に原爆供養塔を清掃している。「自分で決めたことを真っすぐされる人。『ヒロシマの出来事を知った者として伝えていかなきゃいけない』と繰り返す姿が胸に残っている」と悼んだ。

 平和記念公園のボランティアガイドとして原爆供養塔も案内する村上正晃さん(24)=西区=は7月、老人介護施設に佐伯さんを初めて訪ねた。目を閉じベッドに横たわる佐伯さんの耳元でガイドをしていると伝えると、「ありがとう」。声を絞りだし、手を合わせてくれたという。「被爆者の生の声を聞ける最後の時期。原爆で亡くなった人を大切にしないといけないという佐伯さんの気持ちを自分も伝えたい」

 元原爆資料館長で、原爆供養塔を管理する広島戦災供養会の畑口実会長(71)=廿日市市=は「信念を持ち、犠牲者のために清掃を毎日続けてこられたおかげで今がある」と感謝。広島市の松井一実市長は「活動は今も佐伯さんに共鳴された市民に引き継がれている。ご冥福をお祈り申し上げる」とのコメントを発表した。(野田華奈子、山本祐司)

(2017年10月5日朝刊掲載)

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