×

ニュース

河合護郎氏が死去 元広島平和文化センター理事長 84歳

 元広島平和文化センター理事長で、反核運動に力を注いだ河合護郎(かわい・ごろう)氏が1日午後6時35分、急性呼吸不全のため広島市安佐南区の病院で死去したことが4日、分かった。84歳。東広島市出身。自宅は広島市安佐南区毘沙門台1の17の24。葬儀は近親者で3日に済ませた。喪主は妻藤子(ふじこ)さん。

 原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長を務めた。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表などに就任した。

「核廃絶 指導者失った」 河合氏追悼の声

 元広島平和文化センター理事長の河合護郎さんの訃報が届いた4日、被爆地の平和運動家やかつての同僚たちから追悼の声が寄せられた。

 2001年、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の設立に携わった河合さん。既存の組織の垣根を越え、反核平和運動に市民の力を集めることに心を砕いた。

 設立時から共に代表を務める森滝春子さん(73)=佐伯区=は「正義感と責任感が誰より強かった。核兵器廃絶への気迫に衰えはなかったのに」。同じく共同代表で、広島市立大広島平和研究所の田中利幸教授(63)=中区=も「大切な指導者を失った」と惜しんだ。

 中区の原爆資料館東館にある広島平和文化センター理事長室。掲げられた「核絶対悪」の書は、河合さんがしたためた。資料館の前田耕一郎館長(63)=安佐北区=は「退職後も一市民として核兵器廃絶を訴え続けられた信念に敬意を表したい」と話した。(田中美千子、山本乃輔)

(2012年10月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ