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Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第49号) 修学旅行生と学ぶ原爆

 被爆地広島は秋の修学旅行シーズンのピークです。平和記念公園の原爆の子の像の前や原爆慰霊碑の周辺では毎日、修学旅行生でにぎわう光景を見かけます。

 広島市には全国の小中学校や高校から年間30万人を超(こ)える子どもたちが修学旅行で訪れます。実際にヒロシマを歩き、原爆の爪痕(つめあと)に触れて何を学ぶのでしょう。

 ジュニアライターは県外からやってきた中学生と一緒(いっしょ)に原爆資料館を見学し、被爆者の証言を聞きました。修学旅行生は事前に戦時中の人々の暮らしや原爆の被害(ひがい)について、かなり勉強してきています。地元で暮らす私たちも、真剣(しんけん)に学ぶ同世代の姿に平和を学ぶ大切さを感じました。そして修学旅行コースのアイデアを、取材を担当したジュニアライターで考えてみました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年生までが自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

紙面イメージはこちら

真っすぐな思い 刺激受けた

岐阜の加納中と資料館を見学

事前学習・活発な討論 驚き

 岐阜(ぎふ)市の加納中の3年生180人は3日間、修学旅行で広島市内に滞在(たいざい)し、「生き方」をテーマに平和学習に取り組みました。班別行動では、被爆建物や放射線影響(えいきょう)研究所などを回った後、平和記念公園で碑巡りをしました。

 ジュニアライターは原爆資料館の見学に同行しました。加納中の生徒たちは、焼け焦(こ)げた三輪車やブラウスなどの遺品や、背中にやけどを負った被爆者の写真の前で立ち止まり、感想を言い合いながら、ゆっくり見ていました。

 ぼろぼろになった少年の服に見入っていた丹下(たんげ)美優さん(15)は「遺品の実物を見て原爆が落ちた日のことや、戦争の怖(こわ)さを感じた」と振り返りました。大淵匠(おおぶち・たくみ)さん(15)は「たった一つの原爆でいつもの暮らしが失われ、命が奪(うば)われた。核兵器をなくすために何をすべきか話し合わなければ」と強調していました。

 ヒロシマを訪れるための事前学習では原爆被害や復興について調べ、戦争関連のテレビ番組を見て話し合ったそうです。学習する内容が予想以上に深く、グループ討議が活発なことにも驚(おどろ)きました。

 小嶋大介教諭(きょうゆ)(42)は「平和な時代に生きる生徒に、広島で被爆者の思いや傷を心で感じ、自分にできることを考えてほしい」と説明してくれました。平和学習を当たり前のように感じていたけれど、彼(かれ)らの姿に刺激(しげき)を受け、地元で学ぶ私たちも意識を変えないといけないと思いました。(高1平田佳子、中3フィリックス・ウォルシュ、中2森本柚衣)

東京の石神井南中と被爆証言を聞く

必死にメモ取り 考える姿心強い

 東京の石神井(しゃくじい)南中の3年生123人は原爆ドーム前の旅館で、在日韓国(かんこく)人被爆者の朴南珠(パク・ナムジュ)さん(85)=西区=の証言を聞き、私たちも加わりました。

 爆心地から約1・9キロ地点で路面電車の車内で被爆した朴さん。焼け野原になった街に恐怖を感じたことや、人が虫けらのように死んだことを涙(なみだ)ながらに語り「たくさんの犠牲(ぎせい)と苦しみの上に築かれた平和を守って」と訴(うった)えました。

 生徒たちは貴重な「生の声」に必死でメモを取っていました。証言が終わった後は友達同士で感想を話し合っていました。あの日の光景を想像し、記憶に刻んだのだと思います。

 「調べただけでは分からない被爆者の気持ちが伝わり、心が痛んだ」と田中幸翼(こうすけ)さん(14)。元安川で亡くなった学生がたくさんいたことに衝撃(しょうげき)を受けたという日笠(ひかさ)歩理さん(14)は「72年前、原爆が本当に落とされたことを実感した。朴さんたちの苦労があるから私たちは今、普通(ふつう)に暮らせる」と話していました。

 被爆地以外の中学生が原爆について学び、考えていることを目にし、心強く感じました。これまで私たちもたくさんの被爆証言を聞きましたが、同世代が被爆者の話を聞くことは平和な世界を築くための大切な糧(かて)となるのだと思いました。(高1川岸言統、中3目黒美貴)

最近のトレンドは?

民泊と組み合わせ 広島市担当者に聞く

 広島市観光政策部の原翔一郎(しょういちろう)さん(26)に、ヒロシマ修学旅行について聞きました。市の統計では修学旅行生の数は1980年代後半の約57万人をピークに減少し、2015年は約33万5千人でした。一方で学校数は増加傾向(けいこう)。毎年4千校以上が広島を選んでいます。

 ボランティアガイドの案内で、平和記念公園と原爆資料館を回り、被爆証言を聞くプランが定番です。近くの本川小や袋町小の平和資料館を見学する班別行動のほか、被爆体験記を朗読したり、被爆電車に乗ったりする「体験型」も増えているそうです。

 04年度から市は誘致(ゆうち)活動を強化し、毎年約800校を訪問します。重点地区で学校関係者向けの平和学習セミナーも開いています。被爆者の高齢化(こうれいか)が進む中で被爆体験伝承者の講話や、「平和学習講座」の提供も始めました。

 広島に来るきっかけをつくるため、宮島観光や瀬戸内(せとうち)の島々での民泊(みんぱく)を組み合わせたプランも提案しています。たくさんの修学旅行生が広島を訪れ、原爆に破壊された人々の暮らしや復興の歩みを学ぶ時間を持ってほしいです。(中3目黒美貴)

平和学習 新たな試み

動画やクイズ交えた講座

 修学旅行の誘致も視野に入れて、広島市は2012年度から「平和学習講座」を始めています。担当する原爆資料館啓発(けいはつ)課の岡崎裕美(おかざき・ゆうみ)さん(25)の話を聞きました。

 被爆者が高齢化する中、次世代にヒロシマを継承(けいしょう)する新しい取り組みです。対象は、小学生から高校生まで。子どもの成長に合わせた4種類があり、資料館にある遺品の写真や、米国の核実験の動画、クイズを交えながら原爆や核兵器を取り巻く現状を解説します。

 広島に投下された原爆リトルボーイの原寸大ポスターや触(さわ)ることができる被爆瓦(ひばくがわら)を使い、子どもたちが平和のために何ができるかを考えてもらうよう工夫しています。「原爆や核兵器についてさらに知りたい」と思わせる内容になっていると感じました。

 昨年度は74回開かれましたが、市内の学校が中心で修学旅行の利用はまだほとんどありません。岡崎さんは「もっと周知が必要。関心がない人にも原爆被害について知ってもらうことが大切」と話していました。(高2松崎成穂)

(2017年10月19日朝刊掲載)

【編集後記】

 平和学習を行う上で、特に若い世代に「平和な世界のために自分たちに何ができるのか」を考えてもらうことは、最も重要なことだと思います。今回私が取材した「平和学習講座」では、実際に触れることのできる被爆瓦や、リトルボーイの原寸大ポスターを用いるなど、多くの工夫がなされていました。単に「受け身」の講義ではなく、子どもたちが自ら関心を持って、原爆や核兵器について考えることを促す講座は、画期的だと感じました。ただ、残念だったことは、これだけ工夫されている講座が、まだ十分に広まっていないことです。被爆者の高齢化が進む中、この講座が広島はもちろん、県外に、そしていずれは国外へも広まり、さらに多くの人が原爆や核兵器について関心を持つきっかけになってほしいと感じました。(松崎)

 岐阜市立加納中の生徒たちと原爆資料館を見学しました。生徒たちが一つ一つの展示物の前で足を止め、熱心に解説を読んでいる姿が印象的でした。平和学習への関心の高さは私たちと同じだと、再確認することができました。一方で、広島に住んでいると「もう平和学習は聞き飽きた」と思ってしまう人も多いのではないでしょうか。修学旅行生だけではなく、広島に住む私たちも、改めて平和記念公園を訪れるべきだと感じました。(目黒)

 私は今回初めて、修学旅行生の取材をしました。そしてこの取材を通して、広島県外から来る同世代の見方や、感想を知ることができ、良い経験になりました。(森本)

 被爆者の証言を聞いている修学旅行生を取材し、記事を書くという初めての試みでした。修学旅行生の真剣な眼差しとその姿勢に「県外の中学生もちゃんと被爆証言を聞いている」と感じ、うれしくなりました。僕たちジュニアライターと同世代の人たちが被爆体験を聞き、原爆や平和について考える。そのような機会を増やしていくため、今後もジュニアライターの活動に励みたいと思います。(川岸)

 今回の取材を通して、平和学習を目的に修学旅行で広島に来る中学生たちが、どのような心構えで来て、どう感じているのかがよくわかりました。原爆資料館に展示されている遺品を見学している様子がとても印象的でした。原爆の被害の大きさや悲惨さをしっかり伝えている遺品や写真を一番集中して見学していたことから、どういう物が関心が高いのか、ということを知ることができました。また、県外の中学生が、目を背けずにしっかりと見学しており、「素晴らしいことだな」と感じました。(ウォルシュ)

 同世代が平和記念公園や原爆資料館で感じたことを取材し、記事にすることはとても新鮮でした。私も毎年、原爆資料館に行くたびに、展示品を見て心が痛みます。だからこそ、彼らが衝撃を受けている姿に接し、共感を覚えました。(平田)

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