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社説・コラム

『潮流』 ミステリーで問う不条理

■論説委員 森田裕美

 バッグにいつも本を何冊か入れて持ち歩いている。仕事で必要な専門書の日もあれば肩の力を抜いて読める娯楽小説の日も。中でも子どもの頃から愛してやまないのが推理小説である。

 とりわけここ数年気になってしょうがないのが、トラベルミステリーで知られる西村京太郎さん。鉄道を介したトリックで長年ファンを沸かせてきたが、近年やや趣が異なる作品を世に送り出しているからだ。

 殺人事件の動機に、しばしば「戦争」が顔を出す。軍国主義の下、多くの命が奪われた第2次世界大戦の不条理に光を当てる。

 例えば「七十年後の殺人」で、事件の背後に横たわるのは「戦陣訓」だ。1941年に東条英機陸相が発した「生きて虜囚の辱めを受けず」で知られる訓示は、軍人に限らず多くの人を自死に追いやったとされる。

 当時の日本には陸軍刑法があり、敵への降伏も否定はされていなかった。なのになぜ、法律でもない「戦陣訓」が優先されたのか―。西村さんが感じているであろう理不尽さが、おなじみの十津川警部たち登場人物の口を借りて語られる。

 ほかの近作でも同様だ。何よりも体裁を優先した軍部や、人命が軽視された当時の極端な精神主義を取り上げ、疑問視している。

 <私は、いつでも、生が死よりも、大事であってほしい>。先頃刊行された自伝「十五歳の戦争」で西村さんは、東京陸軍幼年学校で終戦を迎えた体験と共に思いの丈をつづっている。あの戦争は何だったのか―。87歳の作家が、ミステリーという娯楽を通じて問い続ける心情も伝わる。

 ただ、作品にはもやもや感が残ることもある。殺人事件は解決しても、動機が戦争による不条理であれば犯人だけを責められないではないか。結局、悪いのは誰なのか―。それを考え続けることが、もう一つの妙味なのかもしれない。

(2017年10月21日朝刊掲載)

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