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竹原出身 広島で被爆死 手島守之輔 画業たどる 呉の「無言館展」で特集展示

 呉市立美術館で開催中の「無言館 遺(のこ)された絵画展」は、会場の一室を特集展示とし、竹原市出身で広島で被爆死した画家手島守之輔(1914~45年)の画業を振り返っている。新制作派協会展で入選した大作2点も、ことし修復を終えて公開している。

 長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の所蔵品などで構成する同展。手島の特集展示は、無言館の収蔵品に加え、遺族所有の作品など計18点が並ぶ。

 手島は34年、東京美術学校(現東京芸術大)に入学。荻太郎らと共に呉市出身の南薫造に学んだ。卒業後も東京で創作を続けるが、43年に郷里に戻り図画教師となる。45年に召集を受け、8月6日に広島市で被爆。16日に亡くなった。

 大作2点は「奇蹟(きせき)の渇望」と「風」で、いずれも天を見上げる人物をモチーフにした幻想的な雰囲気の作品。それぞれ38、39年の新制作派協会展に出品した。

 呉市立美術館の角田知扶学芸員は「縦に引き伸ばした人体表現などエル・グレコを思わせる作風で、当時影響を受けていたのではないか。手島の代表作といえる」と話す。

 2点は2010年、無言館が遺族から寄託を受けた。絵の具がめくれたり水染みができたりしていたため、展示を見合わせて保管していた。無言館では、「作品がたどってきた時間を含めた展示」という方針から、劣化を食い止める最低限の修復にとどめたという。

 瀬戸内沿岸を描いた温和な色使いの風景画や、最後の作品とされる「少女像」、荻が制作した手島の肖像画なども展示。角田学芸員は「手島は郷里の風景や家族を愛した。残った作品は少ないが、画風の変遷や荻との心の交流をうかがい知ることができる」と話す。

 中国新聞社などの主催で11月19日まで。火曜休館。(鈴木大介)

(2017年10月26日朝刊掲載)

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