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社説・コラム

天風録 『神田三亀男さんのまなざし』

 被爆の半年後、占領下の広島で創刊された「中国文化」は原子爆弾特集号と銘打つ。編集人栗原貞子を原爆詩人として世に知らしめた「生ましめん哉(かな)」も収め、いち早く惨状を描いた文芸誌の一つだ▲諸先生の熱援の下、どうして「生まざらんや」である―。栗原があとがきに発刊の志を記す。混乱期だけに、「諸先生」の寄稿や励ましは心強かったに違いない。その一人として挙げるのが、後に民俗学者としても知られる歌人の神田三亀男(みきお)さんである。おととい、悲報に接した▲「書き残さんと本当に失われる」。戦後、農業指導で地域を回りながら失われつつある民俗調査に尽くした神田さんには、そんな思いが強かったようだ。まなざしは被爆の記憶にも向く▲1980年、広島市郊外の川内で、働き手を失いながら懸命に畑を守るおばあさんたちと出会う。あの日、村から市中心部に動員された夫や子をいっぺんに失っていた。残された人の人生までも変えてしまう悲劇…。丹念な聞き取りを1年半続けた▲実を結んだ「原爆に夫を奪われて」で神田さんはつづる。「原爆の直接体験を持つ広島市民には、風化もなく、昔語りでもありません」。改めて胸に刻む。

(2017年11月1日朝刊掲載)

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