×

社説・コラム

『潮流』 わだつみと無言館

■文化部長 渡辺拓道

 「未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある」。わだつみ像を1953年、曲折の末に学内で受け入れた立命館大の末川博総長が揮毫(きごう)した碑文は続ける。「その貴い未来と生命を聖戦という美名のもとに奪い去られた青年學徒のなげきと怒りともだえを象徴する」

 青年の像は、京都御所に近い大学の狭い中庭に立っていた。当方が見たのは学生運動が姿を消した頃で、ある動員学徒の「遺書」を公募して今も読み継がれる「きけ わだつみのこえ」が建立の発端だとは知っていた。像と本は、学徒にも容赦しない戦争を告発する象徴と感じてきた。

 わだつみ像は、呉市で開催中の「無言館」展を見て思い出した。戦地へ赴いた画学生の遺志をくみ取ろうと肩に入っていた力が少し抜けた。「わだつみのこえ」が読み手に与える重みとは違い、絵には純粋な美の表現があった。

 会場で1枚の自画像に引かれた。死を目前に描いたと知らなければ、その目の奥に戦争を見るのは難しい。青年期の苦悩の表現とも見える。しかし絵に添えられた手紙や日記、家族の言葉を読む。「せめてこの絵の具を使い切ってから征きたい」「戦死したら、葬儀には写真でなくこの絵を」。絶叫ではない言葉と絵の印象が一体になり、絵に込められた思いを一層重く受け止めることができた。

 長野県にある無言館は20年前、窪島誠一郎館長が画学生の絵を残す決意をしなければ存在しなかった。戦争の不条理を示す狙いに加え、窪島さんは「人間の愚かさと表現者の誇りが、せめぎ合う場所でありたい」と語っている。

 わだつみの動員学徒は手紙に、無言館の画学生は絵に「なげき」や「怒り」を刻み込む知識があり、環境があった。一方で、自らの内の情念を表現する力も手段もなく戦地で散った、はるかに多くの若者もいた。

(2017年11月2日朝刊掲載)

年別アーカイブ